ANDOのブログ

気づきとか違和感についての独り言

アドバイスしてやる

アドバイスしてやるよ。

 

1つ、お前は俺の雇い主じゃない。

俺を雇ってるのは、この会社のトップの人間だ。契約書にもそう書いてある。

雇い主のトップの意見なら俺は、違法なことじゃなければ何でも聞いてやる。

金もらって労働力を提供する、っていう契約を書面で結んでるからな。

 

そしてそのトップから決裁権限を委任されてる奴ら、いわゆる決裁権者だ。決裁権者の言うことも俺は聞く。なぜならトップから決裁権限を委任されてる彼らの発言はいわばトップの発言と同義だからだ。

 

だけどな、お前の言うことなんか聞かねーぞ。繰り返す。お前は俺の雇い主でも決裁権者でもない。俺の決裁ライン上にお前の名前なんかねーんだよ。

お前は、会社と学校とを混同して、先輩とか後輩とかそういう下らねー上下関係を職場に持ち込んで、客の問題解決を遅らせてるただこの職場で年だけ取ったポンコツなんだよ。

 

分かったか?

 

2つ、愚痴を改善につなげろよ。

「非正規の人間に頼みごとをしたはずなのにやってない、マジで・・・(笑)」だあ?www

教えてやるよ。お前のミスだ。

確かに一次的なミスは非正規の人間にあるかもしれない。それにな、ちゃんと頼んだのか?なぜ、どのように、いつ、どこで、だれが、誰に、何をするかを。そのたのんだ形跡を再現可能な状態で保存してあるか?

ちゃんと再現可能な状態で依頼した事実を保存してあったとしても、お前のミスだ。

なぜなら非正規の人間はお前より給料も低くて責任も少ないからだ。

お前は非正規の人間より給料も高くて、責任も大きい。

「その仕事の担当者はお前」なんだよ。「担当者」って言葉読めるか?担当する者って書くんだよ。

お前のミスだ。

お前がその仕事の責任者なんだからよ、進捗管理でもなんでもするべきだったんじゃないのか?

「あと〇〇日(時間)ですけど進捗どうですか」とか、もしそれでやってなかったらはっぱかける、発破かけてもサボるようなポンコツ非正規だったら人事権持ってるものにやめさせるよう掛け合ってみる、それでも簡単じゃなかったら他の非正規に分担してもらう、それでもだめなら担当者自ら時間を見つけて前倒して仕事を処理するのがお前の役目だろうが。

 

金もらいながら愚痴なんて言ってるやつは全員無能なんだよ。

せめて俺みたいに無給で日記やらTwitterやらブログやらに書いとけ。家で独り言いってろ。

 

金もらってる以上、不満や愚痴は改善しろよ。むしろ日頃の状態をより良いものにするチャンスだろうが。

バッターボックスに立ってんのに自覚もなく、そういう甘い球を見過ごして三振アウトになってるから、俺の決裁ライン上にもいつまでも名前が載らねぇんじゃねえのか?

 

しっかりしろ。

 

アドバイスは以上。

形式知と経験知

こんばんは。

 

前から思ってはいたんだけど、勉強や読書で得た、経験したことのない形式的な知識(以下、「形式知」)より、実際に経験して痛い目見たり美味しい思いして得た血の通った知識(以下、「経験知」)の方がずっと有用だと思ってんだよね。

 

で、ずっと、「形式知なんてくそだ!」とも思ってたんだけど、それもちがうなってなったんで、備忘録代わりにメモ。

 

っていうのも、形式的な知識がある方が、血の通った経験知になりやすいんだよね。バカも天才もみな等しく24時間生きてるわけで、みな濃淡はあれど何かしら経験してる。

なのに一方はそんなに学びがなくて、一方は学びが多い毎日を過ごしてると。その差はなに?って言ったときに、多分形式的な知識の差だと思うんだよね。

 

例えば、有名なゲシュタルト崩壊ってあるけど、「ゲシュタルト崩壊」っていう言葉を知らないと、「あれ?〇〇っていう漢字ってこんなんだったっけ?ん?なんだこれ?」とかいって一日が終わるんですよ。

んでそいつは何事もなくくそしてシコって寝るわけで。でも、形式的な「ゲシュタルト崩壊とは、知覚における~」みたいな知識があれば、最初はその意味がわからんくても、「あれ?〇って漢字こんなんだっけ?ん?あれ、これがゲシュタルト崩壊か!」ってなるんすよね。

 

だから、形式知が多けりゃ多いほど、日頃右から左へ流しがちな経験が経験知に昇華する確率が上がるわけで、形式知もないがしろにはできねーな、って思いました。

勉強も読書もある程度必要で、んで願わくばそれらを実生活で実験してみたり、実験したりするほど好奇心旺盛じゃなくても、なにかそれっぽい経験をしたときに、「あれ?これこの前のアレじゃね?」って、自身の経験を省みたり、言語化したりする機会を設けることで、人ってのは成長速度が上がるんじゃないか、そう思ったんですよ。

 

あとは、今思いついたけど、人の話をよく聞くってのも重要そうだな。

「いや俺はさ~」っていう一見くそつまらない身の丈話かよ、って思うような同僚とか上司の話でも、そこからそいつなりの経験知を見出して、そいつの経験知を自分の形式知にして、

んで自分の形式知を自分の経験知にかえるきっかけにすりゃぁ、だいぶ無駄な職場の人間との会話もいくらか生産的になるんじゃねーか、そう思いました。

 

おわり

至極のツイート#1 「いいからやれ」

こんばんは。チキンラーメンを食べながら失礼します。あんどうです。

そういえば最近、若者の袋麺離れが顕著、というニュースを見ましたが信じられません。我が家は毎食袋麺のチキンラーメンです。安いしいいぞ。アレンジもきくしな。

 

今日もまた、やることをEvernoteにあらかじめ記し、iOSカレンダーにしっかり予定を入れたのにもかかわらず、MHWベヒーモスに時間を浪費(とにかく勝てない)し、DMMを見るもサンプル動画では抜き切れず(全然タイトルの期待感と違う)、そしてやることをやれずにこの時間まで来てしまったわけです。

 

自分への自責の念と、自責の念を感じることすらなくなってきた開き直りとの間を右往左往していたところ、面白いツイートを目にしたので筆を執りました。

 

その一連のツイートがこちら(ツイート主さんはこちら)。

 

 

 

「いいかれやれ」、「とはいえやれない」

この、私も今日陥っている、生きとし生けるものすべてに襲い掛かる葛藤について言語化されています。

 

この方はのツイートの要旨は次のとおり。

何かを成し遂げたいなら「とにかくやるしかない」

→でも「とはいえやれない」

→なぜかというと参入障壁を感じるから

→でもその参入障壁はほとんどの場合、幻想

→色んなやらない理由がある(そしてそれらはほとんどの場合正しい)が、結局やらないのなら「そこまでしてやりたくない」だけ

→結論「いいからやれ」

 

ということ。

 

僕の場合、今日は洗濯ができなかったんですが、とりあえず洗濯機を回してみればよかったんですね。そういうことだったんですね。

 

また勉強などについても、とりあえず3分、なんなら1分でもいいからやってみる、というのはいい入り口になるかもしれないですね。

 

日頃から思ってることでもあるんですが、「実践は学びがある」ってことですよね。

 

結局ニュースでもブログでもこういうこたつ記事(実体験もなく取材や調査もしないまま、インターネットやテレビといったメディア上で流通している情報のみを収集、再構成して書く記事のこと)はつまんないですもん。

 

YouTubeでも、静止画に延々テキストのっけてる完全な自動生成アフィ動画みたいなのくそムカつくじゃないですか。

 

だから結局「〇〇やってみた」系のコンテンツにアクセスや人気が集中するってことですよね。

そして、その「やってみた」を支援するスポンサーやらその場を提供するプラットフォームを展開する企業が台頭してるのは、最近のEsportsでも目立ちますし。

 

とりあえずやってみて、そこから学ぶ、というのが基本的に結論なのかな、と自分でも身に染みるツイートでした。

理想の生活。

8時間程寝て、朝起きます。

窓があればちょこっと外を見て、余裕があれば窓を少し開け、風なんかを感じてみてもよいでしょう。

朝起きたら、歯磨いたりなんかして、牛乳かなんかを飲みながら、ゆっくり出発の準備をします。

朝のテレビの占いは良ければ信じて、悪ければそういう日もあるよねぇ〜と半身で受け止めましょう。

 

出発と同時に、用意しておいたゴミを出します。外に出たら深呼吸しましょう。

 

仕事場についたら、当たり障りのないように挨拶などの最低限の礼儀をたしなみつつ、自分のコントロールできる部分に全神経を集中させ、問題を解決します。

そして、たまには、自分がコントロールできないけど、考えなくちゃいけないことだったりに思いを馳せ、自分だったらどうするんだろう、などと考えます。気が向いたらその時のための準備などをしてもよいでしょう。

 

お昼休みも、LINEやニュースなどをほどほどにチェックし、お昼ご飯を腹5分目くらいまで食べ、必要な作業を終えたら、仮眠します。スッキリした状態で午後に臨みましょう。

 

午後は、コーヒーなんかを飲みながら、午前中よりはのんびり、前述のことをしながら明日以降の準備なんかをします。定時になったらほどほどの挨拶を済ませさっさと帰りましょう。

 

帰ったら、自分の興味関心のあること・やってて楽しいことなどをほどほどに楽しみ、愛する人との時間を過ごしましょう。

自分の興味関心のあることや楽しいことの延長線上に、他人のために役立つ何かを生み出せればなおよいでしょう。

 

お風呂が面倒になる前に、早い時間にお風呂に入り、一日の反省と明日の楽しみ方をバランスよく考えましょう。

 

ゴミだしや明日の持ち物の準備やリビングの片づけなど、明日の朝にやるとイライラしてしまうようなことを先に片付けておきましょう。

 

諸々の準備が終えたら、愛する人とセックスをひとしきり楽しんだ後、明日、スッキリ起きるために寝ましょう。

屁理屈って存在するのか?

断食すればよくね?美味しいもの食べたいなら。

 

news.livedoor.com

 

こんにちは、寝落ちして数時間前から起きてるのでこの投稿時間です。寝落ちして夜中に起きてそのまま生活するのって結局トータルの睡眠時間変わんねーはずなのに、なんか眠いんだよな。

んで起床後DMMでシコってネットサーフィンしたら上記の記事を見つけて読んでたんですけど、どう思います?上の発言。

まぁ流れとしては、「お金お金って上見てもキリないんだから、それよりも自分が本当に楽しいと思うことを突き詰めて、無駄遣いやめて必要最低限のお金をそこに使った方が幸せじゃね?」っていう話の中で、でたやりとりです(記事内容には凄い共感した。)。

 

んでこれみて「屁理屈だ!」とはどーしても俺思えないんすよね。

美味しいものを食べるのが目的なら断食すればよくね?断食したら腹減った何食ってもうまいんだから。って吐き捨てられたら確かに「え?」ってなるかもだけど、その意見から転じて、「じゃあ断食せずに美味しいものを食べるのが目的ならどうすればいいのか」って次のステップに進めるわけじゃないですか。

 

どうも「屁理屈!」って言葉の中に、論理じゃなくて感情が多分に入り込んでる感じがどうも好きじゃないんですよね。まぁ実際無理なんですけど、理屈ってのはその発言した人の人格とかと切り離して考えるべきなんですよね。まぁ実際無理なんですけど(二回目)。

 

いやごめん。そんだけ。

過去志向の悪口と、行き過ぎた正論は、自分も他人も縛る鎖

いい歳こいて、職場で同僚の愚痴をいっている年増BBAの神経がちょっと理解できない。

今まで生きてきて、悪口が生産的じゃないことなんて気づいてるんじゃないの?って思うし、いや批判的な思考とか感情自体は悪くないしむしろ大事なヒントなんだよ?あとはそれを「じゃあ実際どうしようか」っていう生産的な考えにシフトして、それを自分含め、周りが行動に移せるように前向きな言葉で表現していくってのが一番いいんだよ。それをさ、自分が感じた人への不快感とか、不便な思いってのを、感じたまま口に出しちゃうその成長のしなさに絶望する。お前レベル100上げて攻撃力+1、くらいポテンシャルがない。

 

というか悲しい。今まで、それなりに生きてきて、それなりに色んないやな感情とかを抱えてきたんでしょう。その時に、その不快な感情をトリガーにして、改善のチャンスにしてくれば、恋愛だって人間関係だって、仕事だってなんだってうまくいってきただろうに、ただ、その時の不快な感情をそのまま、大した言語化能力もないまま何を言いたいのかも不明なまま口からだして消化しては、何も変化しない現実から目を背けて年を取ってきたわけでしょ。俺は悲しいよ。俺が親だったら、そんなために生んできたわけじゃない!って涙ながらにぶん殴るね。

 

ってかさ、そもそも正論とか悪口もそうなんだけど、自分を縛るだけなんだよね。「〇〇するなんてあの人まじでうざくない?」って言ったときに、その人も自身も、今後〇〇ができなくなるんだよ?今後〇〇をしたくなってもできないし、それにその悪口を言われた相手も、「うわこのひと〇〇いやなんだ・・・」ってなって、その悪口を言った自分の前から去って、別の〇〇を認めてくれる人のところに行っちゃうわけよ。

これは正論もそうじゃん。結局正論ってのは、誰が言っても正しい、客観的な整合性がとれてるから正論なわけで、そんなの昔の偉人が言ったらしいよ的な感じで全部誰か昔の偉い人のせいにしてりゃいいのに、わざわざどや顔で自分の口から言うことで、自分や周りを縛ってる。

 

批判的×未来志向はいいよ。これまでの色々を踏まえてこれからどうしようかだから。批判的×過去思考はどうしてもくだらない自責や、他責思考に陥りやすいからほんとにやめたほうがいい。しょうもない。てかだったら黙ってろレベル。

だったらまだ同情的×過去志向の方がいい。

 

まぁ、それでもやりたきゃ自分で一生縛ってりゃいいと思うけど、れ俺は人ができてるんで、そういう悲しい世界から解放させてあげたくなっちゃうんだよねぇ、と思ったけど、めんどくさくなったんでシコって寝ます。

お題「チームワークを語れ!」

お題「チームワークを語れ!」があったんで、いい機会だなってことで書きます。

 

ありきたりではあるけど1個目は、「みんなリーダー視点持てよ」って思うんよね。「みんなリーダー視点なんか持ったら主張し合って収集つかねーじゃん」って思うかもしれんけど、ふつーに一人しかリーダー視点持ってない集団の方がよっぽどやばいでしょっていう話で。

 

飲み会で考えてほしいんだけど、みんな幹事経験者の飲み会の方が、幹事経験者一人の飲み会より絶対うまくいかない?集合のタイミングから決済方法、二次会があるのならその二次会への繋ぎ方とか、絶対一人があたふた考えるより、みんなが経験から察し合って助け合った方がうまくいくから。

 

だからいいフォロワーってのはリーダーシップをもったやつのことをいうとおもうんよね。自分がリーダーじゃなくてフォロワーだったとしても自分がリーダーだったら?っていう視点を忘れずに、リーダー視点で考えたときにいまリーダーはこんなことに困ってるんじゃないか?とかそういう視点に気づくし、そしたらその問題を事前に解決してリーダーからのヘルプに備えることができるし。

 

あとリーダーシップを、「主張が激しい」みたいにとらえてる人がいて違うんじゃねーかと思うんだけど、実際ほんとのリーダーシップを持ってたら、決定権限がある人の意見に従うと思うんだよね。さっきの飲み会の例でも、それぞれが「いやこうしたほうがええんちゃうん?」ってのを生産的かつマイルドな意見で提案はするんだけど、その飲み会の幹事が「ん~でも〇〇案にしよう!」っていったときに、「おっけ!お前が言うんならそうしよう!」ってなるのが真のリーダーシップだと思うんよ。互いの知識や経験をもとに生産的にばっちばちに意見や議論は交わすけど、いざ決定権限を持つ人が何かの判断をしたら、四の五の言わずにそれに従う。そういう意識を持ってる人たちの集団こそが一番強いんだと信じてます。

 

あともう一個は、「モチベーション」ね。

変な話、技術面とか知識面でリーダー含めメンバーも未熟でもいいわけよ。でも、その経験の中から「学ぼう」とか「吸収しよう」みたいな前向きな(=生産的な)姿勢を持った人たちの集まりだったら、決してモチベーションが落ちないと思う。

仕事なんて結局最後は人対人だし、モチベが落ちずに熱量が高い状態でなんとかガンガン問題を解決してれば大抵のことは、誰かからの理解が得られた利、得られなくて失敗扱いされても絶対次に繋がるし。まぁ一定のルールでずっとその状態を保持したい、っていうんならモチベじゃなくて統治を優先したほうがいいかもしれんが、組織の形が多少変化しても構わないってんならモチベ維持を優先させて、みんなのそれぞれの熱量の高さに任せた方がいいと思うんだよね。

 

でっていう。

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