ANDOのブログ

気づきとか違和感についての独り言

至極のツイート#1 「いいからやれ」

こんばんは。チキンラーメンを食べながら失礼します。あんどうです。

そういえば最近、若者の袋麺離れが顕著、というニュースを見ましたが信じられません。我が家は毎食袋麺のチキンラーメンです。安いしいいぞ。アレンジもきくしな。

 

今日もまた、やることをEvernoteにあらかじめ記し、iOSカレンダーにしっかり予定を入れたのにもかかわらず、MHWベヒーモスに時間を浪費(とにかく勝てない)し、DMMを見るもサンプル動画では抜き切れず(全然タイトルの期待感と違う)、そしてやることをやれずにこの時間まで来てしまったわけです。

 

自分への自責の念と、自責の念を感じることすらなくなってきた開き直りとの間を右往左往していたところ、面白いツイートを目にしたので筆を執りました。

 

その一連のツイートがこちら(ツイート主さんはこちら)。

 

 

 

「いいかれやれ」、「とはいえやれない」

この、私も今日陥っている、生きとし生けるものすべてに襲い掛かる葛藤について言語化されています。

 

この方はのツイートの要旨は次のとおり。

何かを成し遂げたいなら「とにかくやるしかない」

→でも「とはいえやれない」

→なぜかというと参入障壁を感じるから

→でもその参入障壁はほとんどの場合、幻想

→色んなやらない理由がある(そしてそれらはほとんどの場合正しい)が、結局やらないのなら「そこまでしてやりたくない」だけ

→結論「いいからやれ」

 

ということ。

 

僕の場合、今日は洗濯ができなかったんですが、とりあえず洗濯機を回してみればよかったんですね。そういうことだったんですね。

 

また勉強などについても、とりあえず3分、なんなら1分でもいいからやってみる、というのはいい入り口になるかもしれないですね。

 

日頃から思ってることでもあるんですが、「実践は学びがある」ってことですよね。

 

結局ニュースでもブログでもこういうこたつ記事(実体験もなく取材や調査もしないまま、インターネットやテレビといったメディア上で流通している情報のみを収集、再構成して書く記事のこと)はつまんないですもん。

 

YouTubeでも、静止画に延々テキストのっけてる完全な自動生成アフィ動画みたいなのくそムカつくじゃないですか。

 

だから結局「〇〇やってみた」系のコンテンツにアクセスや人気が集中するってことですよね。

そして、その「やってみた」を支援するスポンサーやらその場を提供するプラットフォームを展開する企業が台頭してるのは、最近のEsportsでも目立ちますし。

 

とりあえずやってみて、そこから学ぶ、というのが基本的に結論なのかな、と自分でも身に染みるツイートでした。