ANDOのブログ

気づきとか違和感についての独り言

違和感は大切に扱おう

仕事でミスが発覚したとき、「うわ、やっぱりあの時のアレが原因かよ。」と感じることが多い。

 

明らかに「そこはノーマークでした!完敗です!」という時もあるけれど、たいていの場合は、「あちゃーやっぱりな。。。」ということが多いんじゃないかな。

そのくらい、日常ってのは、違和感としっかり向き合うかの闘いなんだよね。

ここで「戦い」ではなく、「闘い」と書いたのは、それは自分との勝負だから。

仕事でもプライベートでも、「段取進めちゃったけど、あそこの合意とれてるか確認したっけな。。。」「洗濯機に洋服ぶちこんじゃったけどポッケにティッシュ入ってた気がする。。」とか思う。でもそれを確認しない。そういう日々が続くと、自分の違和感センサーがどんどんぼろくなっていくんです。なんでもそうだけど、使ってあげないと錆びちゃうでしょ?

内的な違和感センサーだって同じ。

 

逆に違和感センサーに従って、しっかり日々そこと向き合えば(面倒だけどね)、寝るときにスッキリ寝れるし、自分や周囲の変化にも気づけると思うんです。

 

例えばこのブログを書いてるときも、「なんだかブログが抽象的じゃない?」と思ったので、ティッシュのくだりを入れたり、ほら、そういう積み重ねかなって思ったり。

 

あと全然関係ないけどさ、こういうブログを書くときに「自分と同じ考えを持ってる人っているのかな?」ってGoogleで検索すんのよ。

そしたら、同じような記事出てきてさ、こういうときってちょっとうれしいよね。

たぶん自分と同じような考えを持ってる人って世の中には結構な数いると思うんだよ。

でもそれを文字にしてインターネットに上げるって、結構億劫なことじゃない?

それをしてる人がいるってのは、なんか一人じゃないな、って妙に安心したりできるんだよね。