ANDOのブログ

気づきとか違和感についての独り言

過去志向の悪口と、行き過ぎた正論は、自分も他人も縛る鎖

いい歳こいて、職場で同僚の愚痴をいっている年増BBAの神経がちょっと理解できない。

今まで生きてきて、悪口が生産的じゃないことなんて気づいてるんじゃないの?って思うし、いや批判的な思考とか感情自体は悪くないしむしろ大事なヒントなんだよ?あとはそれを「じゃあ実際どうしようか」っていう生産的な考えにシフトして、それを自分含め、周りが行動に移せるように前向きな言葉で表現していくってのが一番いいんだよ。それをさ、自分が感じた人への不快感とか、不便な思いってのを、感じたまま口に出しちゃうその成長のしなさに絶望する。お前レベル100上げて攻撃力+1、くらいポテンシャルがない。

 

というか悲しい。今まで、それなりに生きてきて、それなりに色んないやな感情とかを抱えてきたんでしょう。その時に、その不快な感情をトリガーにして、改善のチャンスにしてくれば、恋愛だって人間関係だって、仕事だってなんだってうまくいってきただろうに、ただ、その時の不快な感情をそのまま、大した言語化能力もないまま何を言いたいのかも不明なまま口からだして消化しては、何も変化しない現実から目を背けて年を取ってきたわけでしょ。俺は悲しいよ。俺が親だったら、そんなために生んできたわけじゃない!って涙ながらにぶん殴るね。

 

ってかさ、そもそも正論とか悪口もそうなんだけど、自分を縛るだけなんだよね。「〇〇するなんてあの人まじでうざくない?」って言ったときに、その人も自身も、今後〇〇ができなくなるんだよ?今後〇〇をしたくなってもできないし、それにその悪口を言われた相手も、「うわこのひと〇〇いやなんだ・・・」ってなって、その悪口を言った自分の前から去って、別の〇〇を認めてくれる人のところに行っちゃうわけよ。

これは正論もそうじゃん。結局正論ってのは、誰が言っても正しい、客観的な整合性がとれてるから正論なわけで、そんなの昔の偉人が言ったらしいよ的な感じで全部誰か昔の偉い人のせいにしてりゃいいのに、わざわざどや顔で自分の口から言うことで、自分や周りを縛ってる。

 

批判的×未来志向はいいよ。これまでの色々を踏まえてこれからどうしようかだから。批判的×過去思考はどうしてもくだらない自責や、他責思考に陥りやすいからほんとにやめたほうがいい。しょうもない。てかだったら黙ってろレベル。

だったらまだ同情的×過去志向の方がいい。

 

まぁ、それでもやりたきゃ自分で一生縛ってりゃいいと思うけど、れ俺は人ができてるんで、そういう悲しい世界から解放させてあげたくなっちゃうんだよねぇ、と思ったけど、めんどくさくなったんでシコって寝ます。