ANDOのブログ

気づきとか違和感についての独り言

「おしゃれに見える」ではなくなぜ「インスタ映えする」というのか。

言ってしまえば、

「おしゃれに見える」は、「私からみてあなたはおしゃれに見える」ということだ。

 

でも、

インスタ映え」は、「私のみならず、SNSでたくさんの人からおしゃれに見えそう」というニュアンスがあると思う。

 

「おしゃれに見える」は「個人の感想」のようなニュアンスがあるが、インスタ映え」はどこか「他人事」で客観的な評価のようなニュアンスがある。

 

「可愛いね」と「モテそうだね」と同じような違いがある。

「可愛いね」と直接的に言われると、最近のコミュニケーションを避ける傾向にある現代人からしたらなんか距離感が近いような気がする。

 

だが「モテそうだね」なら、どこか「俺だけじゃなくてみんなから」みたいな、ちょっと遠いところから距離を置いて褒めているような感覚がする。

その発言から、「え、彼って私のこと可愛いっていってる?!」と誤解するのもよし、「あ、ありがと~(棒)」と受け流すのもよし。

 

いう方も遠回しに好意を伝えているのか、本当にそう思っただけなのかはわからないが、拒否された時のダメージが少なく、「いわれる方もいう方も無難」なのだ。

 

かくして「インスタ映えするスイーツだねぇ~」みたいな会話が使われるのだ。

これは男女間だけではなく、殺し合いのような気のつかいあいが行われる女子間の会話でよく使われる気がしてならない。

 

2匹の愛犬の物語。

眠れないので書く。

俺と飼っていた2匹の犬の話。

 

俺は昔犬を2匹飼っていた。

1匹は犬というより動物といった感じで、人に媚びず、犬同士でも群れない、孤高の犬だった。

もう1匹はとにかくやる気のない甘えん坊な犬。

この子もある意味群れない犬だったかもしれない。散歩は意地でも嫌がるし、ご飯と睡眠が大好き。そして飼い主がとにかく大好き。

そして飼い主がどんなに忙しい状況であれ膝に座って寝て動かない。

最初は苛立ちもあるが、段々と心地よい諦めが襲ってくる。

 

1匹目の子は撫でるのにも一苦労。機嫌が悪いと噛みつかれるからだ。

それでも愛してやまない。愛さずにはいられない。

それほどに犬は愛おしいのだ。

 

犬は人の気持ちがわかる。これは本当だと思う。

学生の頃、悲しいことがあった時、廊下で一人で泣いてたら犬は近寄って慰めてくれた。

自分が笑顔の時、どこか彼らも楽しそうでウキウキしていた。

 

彼らはいつでも嫌が応にも俺の気持ちにリンクしている。

そう感じた時から、俺は彼らの前では暖かい優しい気持ちでいるよう心がけた。

すると彼らも同じような気持ちになるからだ。

 

気づいてみれば、自分も明るくなっていることに気づかされる。

彼らを想うことが、結局は俺のためにもなっていったのだ。

 

俺が学生の頃に、1匹目の犬が死んだ。

あんなに孤高の王みたいなあの子がみるみる痩せて、大好きなご飯もろくに食えなくなってくるあたりからなんとなく察していた。

でも他人の死とはまるで違う。ドキュメンタリーを見ている時とは比べ物にならない。

察してはいるけど、察したくない。

逃げちゃダメなんだけど逃げたくなる。

でもちゃんとこの子の最後に向き合っていたい。

 

いろんな感情が戦っていたのを覚えてる。

大好きなワンコの最後なのに、どうしても逃げ出したくなったら、ご飯をなかなか食べなかったり、部屋をうんちまみれにしてしまうところに、少しイラついてしまう自分がとにかく情けなかった。

 

当たり前だろ。

言葉は悪りぃが死にかけてるんだ。

お腹に力が入らないのなんて当たり前だ。

うんこだって出ちゃうよ。

食べたいけど喉を通らねんだろう。

 

そんな当たり前のことに、なかなか気づかない。

いや、気づいていたけど目を背けてたのかも。

そんな自分が嫌だった。

 

どんどん迫り来る愛犬の死期と、そんな愛犬を時折大事に思えない自分が怖かった。

 

そしてその時が来た。

俺は亡くなる瞬間に立ち会えなかった。

なんなら飲み会に出かけてた。

帰ってきて、動かない、冷たい愛犬を目の当たりにした。

 

大好きだった。

そんな愛犬がもう動いていないのだ。

死ぬってなんだろう。どこからが生きていてどこからが死なんだろう。

歩きたいのに起き上がれない彼を起こしてあげてる数日前まで彼は生きていて、少し動かないだけで今日は死んでるらしい。

まだ暖かいのに。

 

途方もなく泣いた。

俺普段あんまり涙出ないんだけど、本当に泣いた。

本当はすぐに火葬してあげたらするのが良いのかもしれないけど、その日は愛犬の亡骸と寄り添って寝た。

冷たかったけど暖かった。

そしてどれだけ俺の心の支えだったかを知った。大切な存在だった。

 

物心ついた頃から彼を飼っていて、俺が学生を卒業するくらいまでずっと生きていた。

俺はまだまだ未来ある年なのに彼は10数年間で死ぬ。

なんて不公平なんだろう。

俺は彼ほど誰かに希望を与えられたことがあるだろうか。

 

罪悪感にも近いものを感じたし、「これから悔いなく生きていこう」という決意は贖罪にも近いものがあった。

 

そしてつい去年。

2匹目のワンコも死んだ。

ご飯と睡眠と家族が大好きで、運動が嫌い。

まん丸い体が同じようにみるみる同じように細くなっていく。

1度経験したことがあるけど、慣れるものじゃない。

どうしても慣れられない。

でも、部屋をうんちまみれにされたり、なかなかご飯を食べなくても、根気よく、笑顔で掃除できるようになっていたし、うんちまみれになった時、ワンコの足が汚れないように靴下を自作で作ったりできるくらいにはなっていた。

全然効果なかったけど。笑

 

ごめんな、1匹目の愛犬。お前の時はそれができなくて。

犬は人の気持ちがわかるから、イラついてる俺の気持ちもわかってたんだろう。

そう想うと今も後悔が尽きないし、悔しさでいっぱいだ。

 

でもそんな貴重な経験をさせてくれたのも彼だし、とっても感謝している。

 

2匹目のワンコが死んだ時は朝だった。

ずっと具合が悪かったから、リビングで一緒に寄り添って寝ていたんだけど、朝起きたら既に無くなっていた。

朝方まで起きてて、6時に起きてまだ暖かったから、おそらく起きる数時間前に亡くなったんだろう。

また立ち会えなかった。

今も後悔が残ってるけど、24時間起きてるわけにもいかないし、なんだか死ぬのをこれ見よがしに待っているような感じもするから、これで良かったのかなとも思う。

ただ、同じ時間を過ごして、ご飯を食べて、寝る。

それだけでいいのだ。

 

2匹目がなくなった時も途方もなく泣いた。

一日中泣いたんじゃないかな。

 

もうなんでこんなに涙が出るんだってくらい。

てか普段どこにこんな溜まってんだよって。

 

正直、辛すぎて、なくなった時のインパクトが強すぎて、それ以降の火葬とか、お葬式とか、あんまり覚えてないんだよね。やったんだけど。

 

本当に人生で大切なことはあらかたワンちゃんが教えてくれた。

想いやりの気持ち。自分を好きであることが、自分を好きでいてくれる人を喜ばせることに繋がること。

見返りを求めない無償の愛。

そして死。

 

本当に人生って一回きりなんだなって。

犬だから人生じゃないな。

そう考えると人生って言い回しなんか傲慢だな、別に人間だけじゃないよな。命が一回なのは。

 

命が一回だということ。そして誰かを、なにかを愛することがとても素晴らしいこと。

 

自分の一度しかない命に、真剣に向き合っていかなくちゃなって思ったし、今でも思い出している。

週に一度は遺骨に線香をあげているのだけど、その度に思う。

 

彼らに顔向けできないような情けない人生は送りたくないなと。

 

天国があるなんて思ったことないけど、死後の世界がなんであれ、彼らが今日も彼ららしく、幸せな夢を見れていることを切に願う。

はあちゅう氏を筆頭にしたセクハラ告発ブームに思うこと。

最近凄いムーブメントになってる「#metoo」。

 

世界ではすでにだいぶ前から話題になってて、アカデミー賞俳優のケヴィン・スペイシーが性的告発をされたりで大騒動となってた。割と日本でもNetflixの「ハウス・オブ・カード」とかSe7enのジョン・ドゥ役とかでなじみ深かったからワイドショーとかでやってたんじゃないかな?

 

www.elle.co.jp

 

でも実際は世界でのムーブメントだった感があった。

「この閉じられた閉鎖的な島国で#metooなんてタグつけて告発するバカがどこにいるんだ」みたいなセクハラ親父の勝利宣言が高らかに聞こえてきそうな感じすらあったが、最近風向きが変わった。

 

電通はあちゅうさんの告発である。

はあちゅうさんはブロガーとしてもともと著名で、学生時代には企業にスポンサーをつけてもらって世界一周の旅なんかにもでている。

 

今は電通をやめて著名ブロガーとして活躍中な彼女が「電通時代にひどいセクハラ被害にあっていました」的な告発(というと大げさかも)をしたのだ。

 

詳細は下記の通り。

www.buzzfeed.com

 

この記事は大反響を呼び、SNSではちょっとした事件に。

相手の名前も実名だし何より業界では著名人らしい(俺のような底辺はしらない)。

それに証拠画像などもメディア側に渡し、関係者への取材で裏どりを取り終えたうえでの記事掲載。

ぽっとでの「ブログで元上司の文句を書いてやる!」みたいな記事とは訳が違う(自戒)。 

callmeg2ab.hatenablog.com

 

これを皮切りにいろんな人が口火を切り始めた。

 

 最初こそ

「お、これは祭りか?!」なーんていう2ちゃんねらー全開の第三者視点で見てたんだけど、やじうま程度に記事の内容を見るとどうにも重い。予想以上に重いのだ。

今日は気分がいいからピンサロいっちゃお~♪なんて気分で言ったら1万5千円請求されるくらい予想外に重い。

 

当たり前だ、記事の中身は「はあちゅうの#metoo告発でようやく勇気を絞り出して書いた後ろめたい過去」なのだから。

 

もちろん#metooの意味するところは男性からの女性へのハラスメントだけではないでしょう。

男性権力者からの同性へのハラスメントも同じだろうし、女性から女性へもあるだろうし、女性から男性へもあるんだと思う。

 

こういう記事を見て思ったのは「予想以上に蔓延してるな。」ということ。

 

そして次に「自分がいる状況も物的証拠がないだけで似たようなもんだな」ということ。

 

先ほど張り付けたはあちゅうさんの記事を読んでもらえれば分かるが、彼女にセクハラした岸氏は、はあちゅうさんにラインをテキスト媒体で送っていた。

そういう物的証拠があるけど、普通に慢性的なハラスメントを受けてる人からしてみればそういった証拠はなかなか得られるものではないだろう。

ハラスメントをする側もラインを線引きしている可能性がある。

 

そうなるともう特定は難しい。

なんなら「何もしてないのに上司にハラスメントだと濡れ衣を着せようとしている気が触れた最近の若者」みたいな感じに扱われてしまう可能性すらある。

 

仕事をやめれば食い扶持がなくなる…という人が大半だろうから、仕事を失う、または仕事上立場がなくなるリスクを考慮すれば中々物的証拠のないハラスメントを告発できない。

そうすると「泣き寝入りしているハラスメント」は予想以上、いや、予想以上なんていう言葉じゃ形容できないくらい多いんだろうなというのが本音だ。

 

俺ら労働者に与えられた選択肢なんて言うのは

1.我慢する

2.未来はわからんが戦う

3.未来はわからんが逃げる

くらいしかない。

 

大半、体感85%くらいが選択肢1だろう。

次に3かな。体感10%くらいか。

 

残りの5%が選択肢2。

申し訳ない5%も戦っているとは思えないので自殺と戦う合わせて5%くらいな気がする。

 

どれもいいとは思えない選択肢だけど、1と3を併用したやり方がいいんじゃないかなとは思う。

我慢しながら逃げる準備をする。

これをうまく表しているのがブロガーのヨッピー氏の「明日クビになっても大丈夫!」である。

 

 

結局は「変化を恐れないこと」、いやむしろ「積極的に変化することに挑戦すること」が一番最適解なんじゃないかなと。

生物は変化に適応できるものが生き残る、というのは大昔から言われているけどその通りだと思う。

そして変化に適応できるとしたら「もとから変わり続けられる人」かそうでなければ「意識的に変わろうとする人」しかだめだと思うんだ。

 

今の仕事場が良くても明日どうなるかわからない。

とんでもないセクハラパワハラ上司が異動してくるかもしれないし、なにがどうなるかなんて誰にも分らないのだ。

だから「常に変化する。それも好んで。」これが凄い大事だと思う。

そしてたいていは三日坊主で終わっちゃうから、変化するには「環境を変える」。

これに尽きる気がするね。

 

付き合う人を変える、住む場所を変える、仕事を変える。小さな変化から大きな変化まで何でもいいけど環境を変えれば自分も変わらざるを得ないから。

 

失敗したらアウト!っていうほどのリスクを負って変化をするのはばかげてるけど「まぁ失敗してもいきてけるでしょ」くらいの範囲で変化は続けるべきなんじゃないかな。

 

結局のところ、たいして何も考えずにハラスメントしてるやつらに対して、被害者側はこんなに頭をあれこれ働かせなきゃいけない。

その時点で「戦う」選択肢しかないのかも(笑)

 

救いのない記事でごめんなさい。

 

でも個人的には結構批判もあるようだけど、はあちゅう氏並びに様々な方の「告発」は意義あるものだと思う。

なぜなら既存の社会になかった「SNS」という存在が生み出した影響力だから。

今までは被害者は隅で黙っているか、殺されるのを覚悟で裁判で戦うかみたいなことしかなかったのに、今はSNSという拡声器を通して発言ができる。

ネット上に公開される=一生消せない記録になるわけだから、ハイリスクではあるけどそれに見合うリターンも得られるはずだ。

 

なんでこんな記事を寝なきゃいけないのに真顔で書いているのかわからなくなってきたのでもう寝ます。

全国のハラスメントを受けている方たちが良い夢を見れますよう。おやすみ。ちんぽ。

失敗談>成功談

これ。とても面白かった。

 

いつの世も自慢話や成功談ばかり聞く羽目になるけど、失敗談こそ聞く価値があるよなと思う。

「こんな大成功しましたー!」っていう話以上に、「こんな大失敗しましたー」っていう方が実際は有益だったりする。

Ocean's 8

ぐああああああああああああああああああああああああああああオーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーシャンズ8!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

ポスターかっこよすぎワロタ

頼むから死んでくれ、おれがしぬまえに。

 

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前作「オーシャンズ」シリーズの主演、ジョージ・クルーニー演じたダニー・オーシャンの妹が主人公となっている。

ちなみに演じているのはアカデミー賞常連サンドラ・ブロック様。

 

ほかにも「プラダを着た悪魔」「レ・ミゼラブル」のアン・ハサウェイとか、ケイト・ブランシェット、リアーナ、ダコタ・ファニング、「ハリーポッター」で知ってる人も多いのでは?ヘレナ・ボトム・カーターも出演。

紹介しきれないくらいの豪華っぷり。

頼むからやめてくれ。

 

そして頼むから日本も2018年の夏に同時公開してくれ頼む。

手記

今日は勝負の日だった。

 

仕事場につくなり、いつものように日次のチェックリストを印刷。自前でそろえたバインダーにそれを挟み込み、現場監督さながらにリストにチェックをつけながら日ごとの作業を進める。

 

いつものように上司は挨拶をせずに入ってくる。

俺は、「挨拶することが大事」だと思っているので、「おはようございます」と全員に声をかけた。

 

返事をしたのは数人。

それも俺の挨拶から数秒遅れて「…っしぁす」。

グラシアス???

 

留学してたのかな????????

確かに全員フィリピン人だと思えば日本語で挨拶しても返事がないのもうなずける。

 

くだらない人間関係にうろたえている時間も心にかかるストレスももったいない。

俺は上司とではなく会社と契約をしている。

会社の仕事をしに俺は職場へきている。

 

今日もぎりぎりの納期が待ち構えているため、自分以外の人間しか対処できないことに関しては早めに各方面へ仕事を振り、ずいぶん年の離れた先輩に仕事のスケジュール、今日やることの指示を朝のミーティングで伝える。

 

ちなみにこのミーティングがなければ、同じ担当内で話さず帰ることもあったらしい。

同じ業務を離さず行うなんてどこのエスパーさんかな?????

 

「朝にやるべき業務を担当者で理解するためにミーティングをしましょう」なんていう「人を殺したら捕まる」くらい当たり前のことを一番若手の俺がやらなければなかったという不可思議。

 

いやはや日本の労働生産性の低さが垣間見えたね。

 

労働生産性の低さについて思い出したから少し脱線する。

労働生産性っていうのはそもそも「アウトプット/インプット」のこと。

これを会社という組織で言えば「付加価値(収益など)/投資したコスト(時間・金)」のこと。

 

つまり「いかに時間と人をかけず大きな価値を生むか」がすべてなのだ。

そのため日夜様々な会社は「自分の会社の顧客にとって”価値”とはなんなのか」と「どうやって無駄な時間と金を減らそうか」と考えているのだ。

 

労働生産性」なんていう大げさな名前だからみんな議論するのを控えるだけであって、具体例をあげればそんな難しい話じゃない。

朝のミーティングだってそうだ。

いい大人同士が皆仲良くないのなんて普通だ。逆にいいおっさん同士が仲良しこよしだったら気持ち悪い。

でもおっさん同士が、お互いなんの作業をしてるかを「ただ気まずい」という理由だけで把握せず、同じ作業をだぶってやっていたり、効率的な動きができていないのはもったいなさすぎる。

もったいないという一言で収まればいいが、それこそ、労働契約を結びながらあえて自身の感情を理由に非効率的な業務をおこなうことは株主や使用者への裏切り(不利益を意図して与えているという点において)ではないだろうか?

 

単純に考えればいい。

そんな「自宅で仕事をできるように!」とか「上司とのミーティングをスカイプで!」なんていう「THE意識高い」生産性向上を求めてるわけじゃない。

 

「自身の組織の顧客にとって”価値”とはなんなのか?」

「その価値を最大化するためにはどんな要素が必要なのか?」

「その要素を満たすために必要な金と時間をできるだけ節約する方法は何か?」

 

これだけを考えればいい。しかも「自身の裁量でできることの範囲」で。

社長や部長が了承を得なくてもいい。

自分の裁量の範囲で上記の答えを実施していけばいい。

 

そこに上から指摘が入った時に「こういう理由でこうしました」とちゃんと理由を持てるのが前提だ。

 

基本的に人と人の会話は成り立たないと思った方がいい。当たり前だ。

何年も共に過ごしてきた友人ならともかく。知り合って数年もたたない仕事上の関係だけの他人といきなり「わかりあえる」わけがない。

 

基本的に人との会話はディスコミュニケーション。意思の疎通が不成立だと考えること。

 

だからこそ理由は「シンプル」に。

 

だからこそ物事を考えるときは「シンプルに」考えることが重要になる。

 

シンプルな理由、シンプルなワンポイントメッセージであればこそ見ず知らずの他人に届きやすくなるはず。

 

だが世の中の組織の理屈があまりに「複雑」なのは、「結論ありきの理由づけ」だからだ。

普通に考えたら、シンプルな考えに付随するのはシンプルな理由だ。

 

疲れたのでここまで(笑)

相撲界の暴力事件についての印象を書き殴る巻

なんだか最近話題の(というかメディアが話題にさせている)相撲界の暴力事件。

 

簡単に言うと、横綱日馬富士が、貴乃花部屋所属の現役大相撲力士貴ノ岩をボコボコに殴ったって言う話。

 

ただメディアが騒いでるポイントは「殴ったかどうか」なんてところではなくて、「貴乃花親方がなぜメディアに口を開かないか」ってところ。

 

日馬富士貴ノ岩を殴ったかどうかなんて極論メディアはどうでもいんだろうね。

一番のポイントはその背景にある、貴乃花親方と相撲協会の確執。

そこがハイライトだとメディアは踏んでいるはず。

まぁそれにこと足りず、メディアにでるタレントとかって言うのは基本的に「貴乃花が口を開かないのは不誠実だ」とかなんとかっていう貴乃花ディスのコメントをよく見る限り、少し協会よりなのかな?

 

俺の感想(そこまで詳しくないから印象か)としては、

貴ノ岩が重傷を負った

日馬富士が殴ったことを認めている

この時点で傷害事件としては成立してると思うんですよ。

だから、貴ノ岩所属する部屋の親方である貴乃花が警察に被害届を出すのはなんとも思わない。と言うか普通。

え、だってみんなは誰かに殴られたのに被害届出さないの?って思う。

 

んで警察の捜査が始まってるんだから不確定かつ不必要な情報をペラペラと被害者側が語るのは良くないよね。捜査の邪魔になっちゃうんだから。

だから喋らないのも当たり前だと思う。

 

ただ、日馬富士サイドの行動も理解はできる。共感はできないけどね。

 

日馬富士サイド、というか協会サイドと言うべきなのかもしれないけど、彼らにとって一番大事なのは「起訴されないこと」。

起訴されて裁判が始まれば勝てる保証はないわけです。

「確実に勝つ」には、「そもそも裁判をはじめさせない」ことが重要になってくる。

そうすると、協会サイドとしては、貴乃花に被害届を出させずに、示談で済ませたいわけですな。

 

だからめちゃくちゃな論理だと自分でわかってはいても、屁理屈で貴乃花貴ノ岩にメディアを通して圧力をかけて、うやむやにしたいわけですな。

 

まぁできる弁護士ってのは、裁判で勝つスキルが高いんじゃなくて、訴えを下げさせるスキルが高い人のことっていうしね。