ANDOのブログ

気づきとか違和感についての独り言

20180901

www.gamespark.jp

まぁ、言葉は悪いが、こうやって、会場のセキュリティ面とか、制度面ってのが整備されていくんだろうな。

 

逆にアメリカだとすぐにこうして「いわれりゃ確かに痛いとこだわ」っていう部分を起訴したりできるけど、日本で同じことが起きるとはなかなか思いづらい。

 

日本人だとSNSで大会の愚痴をいったり、ブログで提言するのが精いっぱいな気もする。

 

結果、アメリカで大会の制度やセキュリティが整備され、それが日本にも輸出されていく、って感じになるのかな。

 

jp.reuters.com

 

へー。ネスレとスタバに挑戦っていう形になるのかな。

ユーザーとしては、コーヒーは日常に近い商品だから、選択肢が広がるのはうれしいことだけどね。

コントロールできる部分にフォーカスせよ。

人事を尽くして天命を待つ、ともいう。

自分のできるすべてをしたならば、その後の顛末は静かに天命に任せるという意味。

 

自分のコントロールできる部分については、ある程度優先順位はつけれど、自分のコスト(時間やお金)を投入して最善の状態へ改善していくべきだよね。

 

ただ、自分のコントロールできない部分については、自分のコストやエネルギーを使わなくていい。というか使う必要がない。

 

その後、どうなるか自分にはわからないことについて、気を揉んだり、意識を割くことは、コストやエネルギーの無駄だからだ。

 

そのうえで、下記のブログを読んだ後、より「コントロール可能な部分」と「コントロール不可能な部分」のすみわけがはっきりした。

 

note.mu

 

それは、

「コントロール可能な部分」=「自分と未来」で、

「コントロール不可能な部分」=「他人と過去」ということ。

 

この記事の結論は「自分を大切にしてあげないと、他人は大切にできないので、自分を大切にしましょう」ということ。

 

賛成。

 

でもそれは「GIVE&TAKE」のTAKEだけを欲しがれということじゃないと思う。

 

他人はコントロール不可能だから、他人からのTAKEを期待するのではなく、自分が自分にGIVEする。これなら、コントロール可能でしょ?

 

そのうえで、自分が満たされたら、他人にGIVEする。

これがいいと思う。

 

他人からTAKEがもらえるかどうかってのは、他人が決めることだし、もらえりゃラッキーくらいでいいと思うんだよね。

 

っていう話。

 

コントロール可能な、自分と未来にコストは投入しましょうって話。

察して文化、滅びろ。

いやまじで。

 

「◯◯何ですけど〜…。」みたいな表現、めっちゃ聞かない?俺は聞く。俺だけ?

 

で?なに?って感じだわ。

 

ああいうコミュニケーション取るやつと仕事するのまじで怖いんだよね。

結論はお前が決めろよなスタイル。

 

いやそりゃ確かにさ、判断を下すのは、上の意思決定権限を持つ上の人間だよ?

んで判断を下すには情報が必要で、その情報を提供してるんだから、それでいいでしょ?ってスタイルなんでしょ?

わかるよ、わかる。

 

けどさ、◯◯なんですけど〜…。って先送りして、「あぁそうなんですね。じゃあこれはこういう方針で進めましょう。担当者は◯◯。◯◯を、いつまでにやってください。進捗が芳しくなければ逐一報告してくださいね〜」なんてテキパキこなせる上司や人なんてホント一握りだよ?

 

大抵の上司や役職が上の人間は、「あぁ、そうなんですか…。はい…。」って感じでお互い結論を先送りして曖昧なまま話が終わって、結局話を持ち出した下っ端が気を使ってその仕事をやり始める。でも上は上で動いちゃってて、お互いすれ違ったまま問題解決に動いててあとでめちゃくちゃになる、みたいな?

全部、しっかり決めないからじゃん。

 

仕事は問題を解決するんでしょ。

 

起きた問題を原因もセットで説明する。原因が分からないなら、わからないことを報告する。そこまでが現場の説明。いわゆる「これまでの話」。

 

その上で、次は問題が起きたんだから解決しなくちゃいかないわけでしょ?

だから、解決策を効果(スケジュール、予算や時間的な手間を含む)をセットで提案する。

 

その上で、上の指示を仰いで、誰が担当者で、何をどこでいつまでにどんなやり方でやるかまでを聞き出すまでやれよ。

 

ほんとに。

 

こんなことすら30だの40でできないのマジで終わってんぞ。

今んとこの結論。何でも欲しがるからダメなんだと思う。

 

女、酒、金、かっこいい体、長髪、さわやかな短髪…

なんでも欲しがりすぎ。

 

実際は、何か「俺にはこれだ!」ってものを手に入れるためには、他のものを捨てなきゃいけない。

100個選択肢があって、自分の武器を1つ見つけるってことは、残りの99個を捨てなきゃいけないってことで。

 

多分自分が信じてるものとか、武器を見つけたら何にも代えがたい喜びを得られるんだろうけど、同時に「なんで俺にはこれしかないんだろう」と思うはず。

 

みんなそうやって、自分の武器や強みと向き合ってるんだろうなと思った。

 

 

自分に他人事アドバイス

自分に対して、まるで他人事のようにアドバイスする。

これ、意外といい。

 

どうしても主観フィルターがかかっちゃうから、自分に対して客観的な視点をみようと思ってもなかなか難しい。

 

甘えが入るし。そもそも、自分しか知らない生活リズムとか、そういう自分の「常識・偏見」を前提にしてしまう。

 

けど他人事のように評価すると、そういう「自分しか知らない理屈」をすっ飛ばせるから、言われてみりゃこれやる必要ないこだわりだったな、とか、そういう気づきがある。

 

仕事でもプライベートの目標でも使えるからなかなかおススメ。

勉強法確立したいお^^

色んな勉強法を試すたびに大体「こっちのがもっと良くね?」ってなって勉強法定まんないのよねぇ~。

 

ネガティブ化と思いきやこれって勉強法が改善されてんじゃね?説もあってだなあ。

 

まぁそんなに悪いことでもないみたい。

 

こういう作業を進めていって、早めにこれや!っていう勉強法が決まれば加速できそうな気はするんだけどねぇ。

 

まぁ学生たちと比べると学習の時間ってのがないから、効率のいい集中できる勉強法を確立して加速しなきゃいけないからね。

 

まぁ焦っても仕方ない。

いまめのまえにあることをこなすだけよ。

 

うぇい^^

権利ではなく、義務の中で成長すべき

やらなきゃクビになって餓死するし、ある程度の質を保てなくてもクビになるから。

 

例えば俺でいえば、今俺はお金を払って公認会計士の資格の勉強をしてるんですよ。

金払ってるわけだから、「講座を受ける権利」「教えを受ける権利」があるわけよ。

 

もちろんその権利の中でも自主性があれば、成長はできると思う。

けど、やっぱり講師側の方が成長するわな。

 

ただでさえ小難しい内容を、簡素な言葉に置き換えて言語化して、それを伝える。しかもそれでいてある程度のクオリティを保たなきゃいけないんだもん。

頑張って教えたけど、100人中100人落ちました~!じゃもう誰も寄ってこないしね。

 

それに経営してたら、それこそ帳簿や取引の管理が必要になってくるし、税金対策だって、なんだって座学のお勉強から、実際の実務を通してそれが形式知から経験知になっていくわけよ。

 

そういう意味で、「権利の中で頑張るより、義務の中で試行錯誤する方がよっぽどコスパよく成長できる」ってことだよね。

 

でもまぁ、とはいっても、「勉強したから会社にいれちくり~!」なんていっても、会社は「価値を提供できない奴がそんなお遊びでくんな」とか「いや、だったらお金払って勉強してきてください」ってなるんで。

 

やっぱり最初はある程度、時間とお金を投資して、「権利の中で」頑張らなきゃいけないとは思う。

あとは、嘘とか、ハッタリを吹っかけて「とにかくその業界に入る」。

んで、その中で義務の中で成長していくっていうのはありかもしれない。

 

まぁ、そんな感じ。