ANDOのブログ

気づきとか違和感についての独り言

タスクの時間設定

最近はいろんなことに締め切りを設けるようにしてる。

 

このブログも制限時間は10分だ。

 

というのも仕事にも何にでも世の中締め切りってもんがあるわけで。

当たり前だよね。人生有限だし、みんなのそれぞれの残された時間もバラバラだからね。

 

そういう意味ではスケジュールの管理も大事だけど、「この作業は〇〇分くらいだな」という目利き力が大事な気がしてきた。

 

そしていざ終わった時に「あぁ、足んなかった。」とか、「いや時間余りすぎだな…」とか分かるし。

 

足らないならやり方を変えて質をよくしようとする努力が生まれたりするし。

最近会計士の勉強でもなんだが上がってきて、だらだら解いてると一問30分くらい平気で取られたりする。

だから、まずはテキストで範囲をさらっと読んだり、解答解説をさらっと読んで、問題を解く時に考えるフローチャートとか、アウトラインみたいなものを描いてから丁寧に解いたりしてる。

 

そういう工夫が1つでも増えてくと、自分の引き出しが増えるのかなぁなんて思ったりしてる今日この頃です。

 

何より暑いわ。

 

「AIに代替される可能性がある仕事に就く」より「チャレンジできない」ことのほうが問題説。

会計士試験の勉強が。今週4/19から始まるわけなんですが。

勉強して頑張ります!っていうと、必ず言われることがあって。

「AIに仕事とられちゃう仕事になんで今からつくの?」

っていう言葉を必ず言われるんですよ。

 

でも本当に問題なのは、

「AIに代替される可能性がある職業に就くこと」

じゃなくて

「分からない未来に対していろんな御託を並べチャレンジしないこと」

の方が問題なんじゃないのかなって思うんですよ。

 

確かに、会計士や税理士っていうのは、AIに代替される可能性が高いといわれてる職業ではある。

実際、試験に受かったわけでも働いているわけでもないから、本当にそうなのかはわからないですけど。

 

僕の個人的な理由や事情は置いておいて、

例えAIに取って代わられる職業に就きました!ってなっても、リスクしょって、チャレンジすることのできる人間っていうのは、今後生き残っていくと思うんですよね。

 

その職場で、「じゃあAIにできないことを差別化して頑張ろうよ!」ってなるのか、はたまた異業種にまた飛び込んでいくのかっていうのは、実際体験してみないとわからないし、十人十色だとは思うんだけど、その気合だったり、覚悟っていうのがある人であれば、やっていけるんじゃないかなって僕は思いますね。

 

逆に、どんなにAIに代替される可能性がない職業についていたとしても、いろんなことにチャレンジすることができない考え方や生き方が染みついてしまった人っていうのは、やってけないってと思うんです。

 

AIどころか、その業界の「人」との競争にも勝てないと思う。

 

世の中絶対はないし、イレギュラーは起こる。

その時に、挑戦します!とすっと戦える人っていうのは、僕は強いと思うし、自分はそういう人間になりたいなと思ってるので。

 

一応、僕のチャレンジの理由をあえてもっかいいうと、会社の経理とかをわかるようになりたかったんですよ。

就活中とかにもよくいわれたんですけど、IRの決算資料とか、会社の通知表みたいなものを出すんですよ。

この事業の成績が良かったです、この事業は成績が悪かったので今後は頑張ります、またあらたにこんなことやるつもりです!みたいなことを資料を出してて、その資料とかを見ればその会社の実情がわかるよみたいなことはよく言われてました。

 

で、そういった資料とかっていうのをしっかり正しくみれたら楽しいんじゃないかなって。

それに、世の中に価値を生み出そう!って会社をやってる人多いんで、そういう人の助けになれればとか、あわよくば自分が事業を立ち上げますってなった時にね、踏み出せる知識やスキルがあった方が人生楽しいんじゃないかなって思ってまして。

 

AIに決算資料とかの解読をまかせて、結果が出ますよね。

よく理由はわからないけど、結論はこうらしい、ってなると思うんですよね。

 

理由気になるじゃないですか。

ある程度の高いレベルまで行っちゃうと、AIが導き出した結論とかってもう理由が分かりませんってことにもなるとは思います。

けど、現状人間が理由を把握してることくらいは、自分でも知りたいなって思うんですよね。

 

だから、その理由を理解できる人間になりたいなってね。

 

まぁちょっと話それましたけど、何か自分のワクワクする理想像っていうのかな、それを見つけて、そこにチャレンジできる。

もちろんリスクはあるけど、発想の転換をして闘える人、そういう人こそ、これからの時代求められるんじゃないかなって思いますね。

 

 

マンチェスターバイザシー

映画を見た。

 ざっと感想を書いたが、とても余韻の残る映画だったので、改めてブログに残しておきたい。

このブログは自分が感じたことを書く日記のようなものだから。

個人的に日記はEvernoteにつけているのだけど、このブログは、プライベートというより、もうちょっとアウトプットよりというか、悪く言えば世間体を意識したような日記になっている。

 

この映画を見て思い出した言葉は、「Life goes on.」という言葉だ。

 

俺はこの言葉がとても好きだ。

 

Life goes on.という言葉には、「まだまだ続くんだから頑張ろうよ!」というポジティブな要素と、「それでも生きなければならないのだ」という諦めにも似た達観したような気持ちがくみ取れる。

個人的には後者の意味合いの方が好きだ。

 

別に誰しも、望んで生まれてきたわけじゃない。

そして必ずしも望まれて生まれてきたわけでもないだろう。

 

生みたくなかったのに生まれてきたもの。男が望まれていたのに女として生まれてきたもの。五体満足を望まれていたのに、それを満たせなかったもの。

 

様々な形で、人の期待を裏切って、生まれてきた俺たちは、どうやら人生を歩み続けることを半ば強いられているらしい。

 

生きる意味がないともがきながらも、死ぬ理由もないと彷徨う。

文字通り、この世は地獄で、俺たちはゾンビのようにも感じる。

 

それでも俺たちは、そんな日常の中で、傷のなめあいかもしれないが、愛し合い、幸せな日常を見出していく。

 

そしてその幸せな日常を無残に失うこともあるだろう。

 

人生には、達成より挫折の方が多い。

そしてその挫折が時には人の心を壊したり、性格や人格を変えなければならないほどのショックを与えることもあるだろう。

 

それでも人生は続く。

 

生きなければならない。

 

決して過去を乗り越える必要はない、自分と向き合う必要はない。ただ、生きていく。

 

それは惨めで美しいことなのだと、この映画を見て感じた。

【問題は起きて当たり前】というスタンス

最近よく痛感するのが、問題は起きて当たり前だ、ってこと。

 

仕事は問題解決、つまり問題が起きなければそもそも仕事する必要がないということでもある。

 

病気で悩む人がいなくなったら医者はいらないし、

人がご飯を食べなくても生きていけるようになったら飲食店や食品業界はいらない。まぁ、娯楽として残るかもしれないけど。

 

なんにせよ、◯◯という問題、があるからこそ仕事があるわけで。

逆に言えば、仕事があるということは、何かしらの問題・課題が存在してるということなんだよね。

 

よく「世の中が理不尽だ。」とか聞くけれど、よくよく考えたら当たり前で、世界中に仕事が溢れてるのも、この世界はバグだらけだから。

こんな無秩序な世界を、秩序づけようとしてるのだから、そりゃそうなんだけど。

 

逆に新しい「社会の問題・課題」を見つける人は、新しい仕事を作ることになるんだろう。つまり起業だよね。

 

そんなあらゆる問題を解決するための要素をつぶさに観察し、解決策を提示し、実行する。

また、今後同じような問題が発生するのを出来るだけ予防する。

問題の原因を究明し、その原因を事前に潰せるシステムにアップグレードする。

 

それが仕事。

 

「なぜうちの職場は問題が多いんだろう。」

とか

「毎日何かしら問題が起きていやだなぁ」

なんて思う時が多かった。

けど、「起きて当たり前」というスタンスを取れるようになってから随分気持ちが軽くなったような気がする。

 

起きた問題に嫌気がさし、目を背ける方がストレスが溜まる。

起きて当たり前だという認識を持てば、問題を直視することができるのかなってね。

 

学びました。