ANDOのブログ

気づきとか違和感についての独り言

真の個性とは変化進化に寛容な人

対してカッコ良くもない顔のくせに無駄に群れていきってるやつ。

対してかわいくもないのに無駄に集団ででかい声出して文句が過ぎる女。

たくさんいるけどやつらに共通しているのは、
一人で過ごす強さがないから。

ただただ純粋に弱いから。

自分に自信がないから、その環境で必死に自分の弱さを補完してくれる人間を探す。
見つけたら群れて、自分の居場所を得たように安堵を得て、言いたいことを言って、
いわゆる’’個性(笑)’’ってやつを手に入れる。

別に群れることが悪いとか言ってるわけじゃない。
ただ常日頃ずっと人に群れて、何かにつけて集団に頼るやつっていうのは、おそらくそいつ一人じゃなにもできない腑抜けが多いっていうだけ。

別に人生がずっと同じ環境で流れていくならそれでいいと思う。
むしろその条件ならいち早く強い仲間を見つけてグループを作った方が有利だろう。

しかし実際の現実はどうだって話になると、そうはいかない。

小学校から中学校、中学校から高校、大学、社会人、異動、出世、退職、解雇…

自分の存在する環境っていうのは常日頃変わっていく。
今、’’俺の毎日は全然変わってない’’っていうやつも気づいてないだけで、変わっていってるはず。

たとえば父親母親のすねをかじって生きてるニート
ずっと同じ毎日が続くと思ってるかもしれないが、
いずれ両親は病に侵され、死に、頼るあてと頼る金がない状態でニートのまま社会に放り出されることになる。

気づくか気づかないってだけで、環境は常に変わり続けてる。

だから、環境が変わった時に、その環境に対応できるように常に自分に問いかけて己を磨いていかないといけないわけだ。
もしくは新しい環境に投げ出された時に、
不用意なプライドを捨てて、その環境に順応しようと最大限努力をしなければいけないわけだ。

こういうことを言うと、すぐ真面目だの意識高いだのとからかわれることも多いが、
実際はそれが真理だ。

面白い話があって、なぜ人間は両親の半分ずつを掛け合わせた’’要は自分とちょっと変わった’’ 子供を作るのだろうか?

効率だけ考えたら自分と全く同じ存在を無性生殖でどんどん生み出していった方が良い。

しかし人間は自身とは異なる性質を持つ人間を産む。(半分は性交相手の染色体が子供に遺伝するため)

その狙いは、異質な存在を発生させることで多様性を展開し、環境が変わっても人間という種が絶滅しないようにするためらしい。

つまり、いっぱいいろんな奴がいれば、どんな環境になったって、誰かくらいは生き残るだろうっていうことね。

ちょっと強い言い方をすると、肌の色や目の色、価値観考え方が違うのは、自分とは違う人間が死んでも自分が生き残るようにするためだと言える。

黄色人種が死んでも白人が、白人が死んでも黒人が、となれば人間という種が滅びないということだ。

つまり、進化過程において細胞レベルですら、’’変化し続ける環境に適応しよう’’としているのに、
髪を赤く染め、SNSで自撮りしながら仮初めの個性をひけらかしてる場合ではない。

真に個性的な人とは、’’自分の持つ個性は◯◯だ’’と限定しない人のことだと思う。
つまり進化(変化)し続けることに寛容である人のこと。

「私はこういう人間だから(キリッ」なんて言ってる奴は、
なんかのテレビで見た、かっこいい人憧れてる人に身なりとか言動を寄せて、自分にその人を投影しているだけのただのオナニー野郎。

自分の中の変化を疑わないことこそが、人生を生きる上での強さになる。
’’今付き合ってる長年の信頼できる恋人と明日別れる’’かもしれない可能性、
’’毎日一緒に過ごしている犬が明日死ぬかもしれない’’可能性
そういった急激な変化に対して精神的な準備ができている奴こそが、最初の一歩を踏み出すのが早いだろう。

徹底的な自己肯定と自己否定。

現状の自分を徹底的に穿った見方で批判し否定し続けることが重要。

だがそれだけやっていると精神的に不安定になり自我を保てないどころか自殺するような奴も出てくるので、自己肯定も重要だろう。
’’まぁこんなもんだよな。よくやってるほうだよな’’っていう心構えはもっていて良いものだと思う。

自己肯定と自己否定の繰り返し。
そのように生きていきたいし、その様に生きることこそが、人として健全に主体的に生きる人間の最低限の条件だと思う。