ANDOのブログ

気づきとか違和感についての独り言

結果よりそこまでの道のりを重視した方が幸せじゃないすか?

思いつきをパパッと。

 

まぁ、結論から言うと、自分のベストいけたか?ってくらい頑張ってギリギリ手の届く環境にいることが、その当人にとってはいいことなんじゃないかって思うんすよ。

 

だってさ、100mを10秒で走るとかさ、センター試験満点とか無理だもん。無理じゃんそんなもん。

そういう誰にでもわかる客観的な評価で人を評価することは正しいと思うし、何の異論もない。

 

けど、一個人としてはそこにとらわれちゃダメだなって思う。

 

話戻すけど、自分がめちゃ頑張って届くギリギリの環境って、自分と同じくらいの能力か、それよりちょっと高い能力の人が集まると思うんだよね。

自分の本来のポテンシャルが100でさ、必死に努力してひっかかった110の環境があるとするじゃん。

同じく自分と同じ能力100の人が頑張って、同じ環境に入ってくるだろうし、もしくは自分よりちょっと上の能力の人がまぁ色々あって、その環境に入ってくるわけよ。

 

だから話す内容も全部刺激的だと思うんよね。

あーそんな視点あんのかー、みたいな。

 

これがさ、すげー下の環境にサボって入ったところでつまんねーもん絶対。

逆も同じで、すげー上の環境にまぐれとかコネとか不正とかで入ってもつまんねーよ。

 

だから、自分の能力が高いとか低いとか関係ないんよ。

自分なりに興味関心があるところに対して、自分なりに考えて、自分なりに精一杯頑張って、その結果受け入れてくれる、拾ってくれる環境が一番自分に合ってる。

 

そう思いました。