個性って、「こだわり」なんじゃないか
結局のところ、「その人のこだわり」なんじゃないか最近よく思う。
プライドとか個性とか。
もっと抽象的なことを言えば譲れないもの。
小難しいことを言うなら、合理的ではない部分。
基本的に世の中ってのは「なんでも合理的にやりましょうね」っていう風潮が強いわけ。
合理的っていうのは、平たくいえば「無駄をなくす」とか「少ないエネルギーで沢山のことをする」とかそういうこと。
当たり前といえば当たり前だ。
ネット注文で届いたペットボトルを一本一本冷蔵庫に運ぶより、ダンボールとか袋に全部入れて一度に運んだ方がよっぽど合理的だし、誰でもそうする。というか、人はそういう創意工夫を重ねて便利で、快適な生活を築いてきた。
でも人って生物だから、どうしても怠惰な部分はあるし、わかっていてもめんどくさくてやりたくない時あるし、スゴイ無駄なことをしてしまうことがあると思う。
でも俺はそういう部分にこそその人の「色」というか味とでもいえばいいのか、出ると思ってる。
その人の偏屈なところ。「無駄かもしれないけど俺はこれだけは譲れねぇ」というところ。
ただ目的を果たせればいいわけじゃない、かっこよくいえば何か哲学があるってこと。
例えがいつも下ネタで申し訳ないが、俺の友人に「ピンサロは絶対指名なしのフリーでしか入らない」という謎の哲学を持ってる奴がいる。
よく考えたら意味不明だ。
おっぱいが大きいとか、顔が可愛いとか、フェラがうまいとか、そういう自分にとって重要なポイントだけ絞って指名して、早めに好みの子を見つけた方がよっぽど合理的だ。
無愛想でブサイクなお嬢さんに当たる可能性も低くなる。
でもその人はその哲学でピンサロに通い詰めてる。
物凄い非合理的な部分、そういうところに人の面白みを感じてしまう。
むしろ、全ての選択が合理的で、無駄が一切ない人なんて、色が何にもないし、何より単純に面白みがない。
コンピュータでいいじゃんとなってしまう。
多分、その友達も、俺のやり方でピンサロを楽しみ出したら、つまらなくなって通わなくなるかもしれない。純粋にピンサロを楽しめなくなるかもしれない。
たしかに基本的には合理的な考えをしたり、行動をとるべきなんだろうけど、自分が今までの人生で培ってきた「非合理的」な部分にヒントがあるんじゃないかと思い始めた。
むしろそのくだらないこだわりを特化させていくことこそが自分の人間性を確立させる方法なんじゃないかな的な。
というかシンプルにそういう部分は人を惹きつける。
「え、なにこいつ?」ってみんなが思って注目してしまう。
小便は絶対座ってしない、とか。
財布は持たない、とか。
ゲームは攻略サイトを見ない、とか。
なんでもいいんだけど。
そういう「誰に頼まれてもないけど自分が譲れないもの」を見つけて、というか日常生活の中で無数にあるだろうけど、それを大事にすることが結果的に自分を受け入れたり、自分という人間の味がでてくることにつながるのではないかと思っている午前2時前であります。