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目撃者

自身の体験談、目撃談を記していくとかなんとか

経験知と形式知

  • 今回は経験知と形式知について書きたい

ふと思い立ったので書きたいと思います。

まぁいつも通りくだらない日記になりそうなのでご了承ください。

  • そもそも経験知とは?形式知とは?

経験したことで得た知識。特に作業現場で培われた、勘や感覚などとして体得された知識逆に文章数値として表現伝達できる形式知識形式知という。

らしいです。(weblio辞書引用)

実際に体験してみた結果、得た経験に基づく知識と、

 

本の読み書きで知った客観的に通じうる知識ってことですよね。

  • 自分ひとりの人生なら経験知の方が重要

この経験知と形式知

どっちが重要なんだというと甲乙つけがたいんですよね。

ただ、ケースによっては優劣は変わってくるとは思います。

 

まずタイトル通り、自分ひとりの人生だとしたら、経験知の方が重要だと思います。

自分ひとりの人生、人生は自分の物、自分の存在しない世界なんて価値がない、なーんていう主観的・個人的な生き方だと、やっぱりスキルアップだったり、

要は「役に立つ知識」しかいらないんですよね。

はっきり言って、金を稼いで、寝床と飯を着るものを用意する為の、経験や知識が必要なわけで。

 

何時の時代の人間が見ても、理解して、実践しうる客観的な形式知なんていらないわけですよ。

その証明といえますけど、高校を卒業して、すぐ工事現場などで働いていらっしゃる方はたくさんいますけど、はっきり言って、学校で習ったことをうだうだこねくり回す必要ないですからね。

 

現場でどんなふうに一日が始まって、この工程はこういう風に進んで、次の日はこうなって、ミスした時の始末書の書き方を覚えて、発注のやり方を覚えて…って現場で覚えれば事足りるわけですよ。

 

それは大学で学んだことを全く生かすことのない新卒大学生にも言えます。

文学部なのに保険の営業に就職しました!とか、別に悪いことじゃないですし、その人の強要になったんだろうからいいんでしょうけど、はっきり言って大学で学んだ形式知なんてまるで働くことに生かされてないですからね。

 

つまり「今を生きる実用性」という意味では圧倒的に経験知の方が優れているといえそう

  • 人類の発展という客観的な立場なら形式知の方が重要

一方形式知

確かに先ほど言った通り、経験知は実用的な意味では個人個人にとって求められるものだし、あればあるほど実際の社会人の現場で活躍することができるとは思うけど、

形式知だって大事。

 

人間が子供を産まず働いて死ぬだけならいいけど、やっぱりどの時代の人でも理解できて、客観的に同じような工程を再現するための材料としてね、後世に文明や思想や技術を伝えるっていう部分においてはかなり形式知も重要なんじゃないかなとか思います。

 

人類の発展っていう大それたテーマで言えば欠かせないものですよね。

 

こういう「経験知は大事なんだぞ!」っていうメッセージも、人から見たら形式知なわけですし。

やっぱり物事の基本とか根底にあるのは形式知の方だとは思います