ANDOのブログ

気づきとか違和感についての独り言

最近だらけてきている

 

callmeg2ab.hatenablog.com

 まぁ資格の勉強を始めてからというものの、もう一年と四か月くらいたってるんですが、、、

どうにも最近勉強がルーティンになってるというか、ルーティンになっていることそれ自体はいいんだけど、義務感があるんだよね。。。

 

そもそもは、大学生時代にやりたいこととか夢がなくて、「まぁ安定した大きい会社に入って、定時で帰りながら自分の好きなことを見つければいいか~」くらいのトーンで会社に入って、その中で、「やっぱり専門性って大事だよね?」ってなって。

 

んで、他の士業と比べて、受験資格も、働きながら資格を登録できるところも含めて、「会計士ええやん!」ってなったから、資格の勉強を始めたんだよな。

 

んで、友達が今の時代においてノリノリの業種で頑張ってたり、自分の中の確固たる信念と向き合って仕事をしたりしてる中で、少しでも「追いつかなくちゃ」とか、「おっさんになった時に、自分も同じ目線で会話できるようになりたいな」みたいな意識から、俺は学費を払って会計士の勉強を始めたのよ。

自分の能力を試したいっていうのも兼ねて。

 

自分がやりたいと始めたことなのに、自分でそれに義務感を感じてる。

今のままじゃだめだ。

 

やっぱり自分の中の純粋な気持ちと向き合って、自分を磨いていく必要がある。

 

昔から俺はやりたいことリストとか作って、それをつぶして生きてきた人間なんだけど、この「会計士になって専門性を高めて、友人と同じくそれぞれの第一線で世の中の問題を解決したい」っていうやりたいことタスクはなかなか実現までに時間がかかる。

 

それを見据えて、毎日の時間を大切に過ごす時間がある。

 

自分のモチベを自分で管理する必要がある。

 

自分の夢を毎日頭で描いて、その実現のための現実的なプランを想定し、それを実行し、適宜軌道修正をしていく必要がある。

 

やるしかない。

というかやりたくて始めたんだから楽しみながら夢に向かおう。

短期的なアプローチと長期的なアプローチ

メモがわりに記録。

 

物事は、短期的な目標達成するのか、長期的な目標達成するのかで、それぞれ必要とされるアプローチが違うんじゃないかなって思ったんだよね。

 

 

 

この1連のツイートをして思ったんだけど、じゃあ短期的なものと長期的なアプローチの使い分けってどういう線引きがあんのよって思ったんだよね。

 

で結論としては、まずは短期的なアプローチでお茶を濁しつつ、貯金や余裕ができたら長期的なアプローチをする。

これが結論。

 

勉強だったらまずは大学に合格するとか、目的の試験をクリアするとか、そういう短期的なアプローチを取って。

でその結果、時間的・金銭的な余裕ができうる状況になったら初めて長期的なアプローチ、つまり意義・使命感のある目標に進んでいけばいいんじゃないかなって思いますね。

 

仕事も全く同じで、まずは上司もしくは同僚のニーズを察知して、それを提供して信頼を勝ちとる。その後に、初めて自分の仕事っていうのを残す作業に移ればいいんじゃないかな。

 

俺の状況に置き換えれば、仕事ではまず周りのして欲しいこと・不満に思ってることを察知して、ニーズを満たしたり、問題を解決したりして「こいつやるじゃん」って思わせる。

んで余裕ができたら、自分の仕事を残しつつ定時で帰って、帰った後は勉強というか試験対策だよね。

試験の過去問であったりとか、そういったものをちゃんと対策して傾向をつかんで、それに沿った学習をすると。

理解を深める、練度を高めるっていう作業をしていくことが多分1番自分の目的への近道なんじゃないかなって思う。

ただ、やっぱり理解を伴わない学習は、結果的に勉強量が増えてしまうから、そこを掘り下げるのであればしっかり掘り下げて、自分があーなるほどね、って思うところまで掘り下げるべきかなと思いました。

残業をしないために

業務範囲の定義→手順の再構築→そのスケジュール管理→進捗状況によりマネジメント権限のあるものへの報告&依頼

 

これが肝だと思います。

 

「ちょっとスケジュールまでに終わりそうもありませーん」っていって、「いや知らねぇよ」ってなったら、さらに上の決裁権限者に掛け合うか、それでもあしらわれたらいよいよブラックなので、転職なり根本から変えたほうがいいかもしれません。

  • 業務範囲の把握
    • 業務量の把握・再定義
      • 業務の仕分け
        • 必要最低限の業務
        • プラスα(最低限の業務を行う上での顧客の利便性向上または問題の解決)
      • プラスαの業務量の再定義
        • その作業は効果が見込めるのか?
          • 見込めるとして、必要な作業量は現実に見合ったものなのか?
          • 必要最低限の業務の遂行に支障をきたさないか?
    • 業務遂行手順の再構築
      • 業務の達成に必要な手順が最低限ものになっているか
        • 目的達成に対応していない手順になっていないか?
        • 無批判に前年の手順を踏襲していないか?
      • 属性ごとに手順を仕分ける
        • 担当者である自分自身にしかできない作業手順
        • 自分以外の担当者以外の人でもできる作業手順
          • 他人に仕事を依頼するための下準備
  • 上記の業務の再定義及びその手順の再構築を行った上でのスケジュールの管理&共有
    • 長期的なスパン
      • エクセルやカレンダーを使い、「デッドラインがいつか」くらいの簡単なスケジュール感を把握しておく
    • 短期的なスパン
      • 「今日どこまでやれるか」のタスクを整理し、把握&共有
  • 上司への進捗状況についての徹底報告
    • 長期or短期的なスケジュール把握の結果、特定の作業を、期間内に終えられないことが見込まれる場合は、上司に報告
      • 上司にタスクのマネジメントを依頼

家帰った後無心で飯食っちゃうのをやめたい。

痩せられない。

飯を食ってしまう。

 

なぜなんだ。

 

というのも、朝も昼も、そんなに食う方じゃない。

 

あからさまに夜食ってる。

 

っていうか、もう帰ったら家にある食材をワンワン次から次へ食ってる。

 

ペース配分というものを知らないみたいに食ってる。

 

これなんなんやろなー。

 

やっぱりストレスとか関係あんのかな。

 

飯を食う代わりになるようなアクションってあるのかな?

 

帰ったら即風呂とか?

 

俺帰って即飯食ってるから。

 

 

自分の人生を生きるために。

自分の人生や状況に変化を起こすためには「なんらかの結果」を残すことが必要だ。

 

結果を残すためには、「タイミング」と「実力」が必要。

 

タイミングは、常に動き続ける自分の周りの環境を含めた世の中に対して、「高感度なセンサー」を持っていなければならない。

実力は、日頃の「準備」が必要だ。

 

高感度なセンサーも、準備も、つまるところ、「行動」。

行動といっても、全体を見据えず、局所的な行動だけをしていてもそれらが効果を発揮する可能性は薄い。

 

限られた時間の中で、効果的な行動をとるためには、「時間配分」が必要だ。

 

適切な行動を行うための時間配分を行うためには、「取捨選択(選択と集中)」が必要だ。

 

取捨選択をするためには、人生における「優先順位」が必要だ。

 

優先順位を決めるには、自分自身を理解することが重要だ。

 

自分自身を理解するには、自問自答も大事だが、とにかく生きて、いろんな経験を積むしかない。

 

ただ、いろんな経験をしながら自分自身を理解するのを待っていたら、限られた人生はどんどんすり減っていく。

何もかも上昇志向がいいとは思わないが、どうしたら自分自身を消化できるのか。どこに帰属意識を置くべきか。何を果たせばいいのか。

そういう自身の人生の目的を見つけたい、達成したいというのが自分という人間なのであると思った。

 

「自分自身を理解する」という難しい問題を除けば、

「自分の価値判断基準を作る」→「その基準に沿って行動の取捨選択をする」→「選択した行動の時間配分を行う」→「設けた時間設定の間、黙々と行動し実力をつけ、タイミングを待つ」→「タイミングを逃さず、結果を残す」

 

それが自分の人生を生きるために必要なことだと思う。

簡単ではないが、実行したい。

愚痴を改善につなげろ。

 

callmeg2ab.hatenablog.com

 まぁこれに通ずるんですけどね。

 

まぁ日々生きてりゃ嫌な気持ちになることもあるわけで。

正直、愚痴を言いたい日もそりゃありますよ。

 

けどね。その気持ちを改善に繋げないと何の意味もなくなっちゃうのよ。

 

自分からも他人からも「へー」で終わっちゃうのよ。

 

愚痴を改善につなげましょうって言いたい。

 

 

相手が思った通りに動いてくれないとか。

単純に何か嫌なこと言われたとか。

 

嫌なことは無数にある。

その愚痴、っていうか正確には、「ネガティブな感情」を持った時にそれを改善につなげないとだめ。

愚痴を感じたときに、それを愚痴のまま終わらせると何も生まれないなんだよね。

なぜそれが起きたのか、次はどうしたら嫌な気持ちを感じなくて済むのかとか。

準備できることもあるんじゃないかとか、自分の管理可能な部分について準備するっていう意味では上記の記事の考え方に繋がる。

 

逆に言うと、それさえできれば全部よくなっていく。

 

まぁこういうこというと、「愚痴くらい言ってもよくね?」ってなるんだけど、

俺が言ってんのは仕事の話ね(まぁ俺はプライベートでもしょうもないやつだなって思うけど。そいつの話術が天才的で、愚痴話が最高に面白かったりしたら別だけど。)。

誰かからお金もらってるわけじゃん。

 

自分が金払ってる側、社長の気持ちになって考えればわかると思う。

 

自分が養ってる社員が愚痴を言うくらいはまぁいいよ(俺は実際それ自体微妙だと思うけど。)。まぁいう分にはへーって感じ。

でもその愚痴を愚痴のまま終わらせてたら?

俺なら「でいや待てよ。で?お前は結局どうすんの?」って思っちゃうし、いっちゃう。

お前が愚痴を言うために金払ってるわけじゃないって思っちゃう。

 

原因をつぶすとか、結果的に対応や結論が変わらないとしてもその過程の部分の質を高めて、ストレスを最低限にするとか。

やりようはいくらでもあるわけじゃない。

 

愚痴を愚痴のまま終わらせて、長い時間が経つと、しょうもない人間になっちゃう。

 

そんだけ。

こんにちは

スマホゲーやってるとなんであんなにむなしくなる時が来るんだろう。

 

FFRKの40連ガチャやってめちゃくちゃ引き良かったんだけど、そこからその武器を強化したり必殺技を習得するために、ダンジョン回したりするモチベが全くない。

というかもともとないってのが正解で、最近はコンシューマーゲームを起動するどころか、スマホゲーのクエスト消化するのも難しいという怠惰の極みを体現している、けれどもシコリは忘れないという性欲から始まる物語を堪能してるわけでございます。

 

家と職場の往復を繰り返すうちにもう働き出してから数年たってしまい、最初は「いや~ブラックな職場環境だ~」なんて思ってましたが、実際は、人事異動で嫌な奴が全員いなくなってからはというものの、ストレスは減ったし、自分でもスケジュール管理とかがうまくいくようになったのもあり、凄い快適でした。やっぱり結局は人ですね人。どんなにいい環境でも嫌な奴が周りにいたらゴミだもんね。

坂上忍とディズニー行くより、大泉洋サイゼリヤ行った方が絶対楽しいしね。

 

てな感じでまた気づいたら年度末ですよ。

 

あっついなーなんて思ってたら、どんどん空気が冷たくなって吐く息が白くなり、次第にマフラーがなきゃ凍えて歩けない、、、みたいな日々を過ごしてたら陽気な日光に照らされ少し汗ばむ、、、みたいな季節が来てしまいました。

 

基本夏か冬でいいわ!ってタイプだったんですけど、やっぱりいざ体感すると春と秋があるってのはでかいっすね。

 

後全然関係ないすけど、おしゃれな人って春服と秋服持ってるよね。

オタク、ゲーマー、出不精とかの陰キャって、基本夏服と冬服しか持ってないんだよね。

短パンかダウン、みたいな。

だから春物秋物の服を持ってる数だけそいつはおしゃれ、おしゃれ偏差値28の迷信を信じてやまない私ですが今日も元気です。

 

最近Amazonプライムアメリカンスナイパーが来たのでもう少しだけ人生を生きてみようかなと思いました。