成田凌くんのプロモーションビデオがとても良い件
それ以上でもそれ以下でもありません。
「成田凌?存在は知っているけど、興味ないなぁ。なんならちょっと嫌い」という斜に構えたあなた。
同志です。全く同じ気持ちでした。
けどまぁ御託ならべんとみてくだされ。
哀愁のあるいい俳優さんだなぁと思うはず。
これはゼクシィとティファニーのタイアップ商品「ティファニー・ブルー」のプロモーション映像ですね。
こっちは共働きのカップルがなんでもない日常を経て婚約するまでのストーリーをドラマチックに演出している映像。
こっちはキャノン公式のプロモーション映像。
これもカップルが題材。
別れたカップルに残されたのは二人の写真。
その写真こそがThis is my life.なのでは?みたいな。
この二つの映像。
ハッピーエンドとバッドエンド?で違いはあるんだけど
共通しているのは成田君の「なんでもない日常」を過ごす哀愁漂う演技がとてもうまい点なんだよね。
例えば山田孝之とか映像に出てくるだけで、絵が強いというか、いい意味で「非現実的」な感じがするよね。
けど彼は、駅前にこういう人いるかも、みたいなトーンを作るのがうまいと思う。
もちろん映像編集や撮影班・照明班の努力も十二分にあるんだと思うけどね。
いい俳優さんですわ。
どちらかというと白ギャル巨乳
夕暮れの電車からおはこんばんにちは。目の前の女が元カノに似ていて困っています。
あんどう (@zero_1234567) | Twitterです。
黒ギャルか白ギャルかという宗教戦争。
この戦争に終わりはないし、むしろ終わってほしくないみたいなジハードがあるんだが、個人的にはだいぶ白ギャル。
黒ギャルはとにかく「強い」。
ヘタレおっさんを苛め抜くみたいなイメージがあるせいか俺は好きじゃない、俺はどMではないのだ。
ちなみにDMMで黒ギャルって調べたら、プロフェッショナル仕事の流儀風の編集のAVが出てきて笑ったので貼っておく。ちなみにこのブログはアフィも何もやってないので、君らが動画を購入しようが部屋を精子まみれにしようが、お母さんにシコが見つかっても全く僕には関係ない。全員4んでくれ。
どちらかというとアホそう・かつ肌が柔らかい白肌の巨乳ギャルが好きですね。
個人的には白ギャルかは知らんが「月曜から夜更かし」の強モブ、「多田さん」が好きですね。
昨日の月曜から夜ふかし、ありがとうございました🌝
— 多田さん (@ootan5_21) 2017年11月7日
写真も応援メッセージもありがとうございます🌝 pic.twitter.com/RXDVHVH9lh
でもDMMで検索したんだけどやっぱり黒ギャルのほうがコンテンツ力強い説あるな。
ちな参考に検索結果も貼っておくわ。
いまや新聞は答えではなくヒント。
何を検索していいか分からない。
という事態は往々にして起こる。
そんな時のニュースと2ちゃんねるは非常に有益だと思うんです。
記事の内容や、スレッドの意見が正しいかは置いといて、そこに出てくるワードを調べると、話の全体像を掴めてくるんだよね。
特に2ちゃんねるなんてその最たる例で、1つのトピックに対していろんな大人が匿名で好き勝手に発言してるわけじゃんか。
嘘かも知れないし、本当かもしれない。
けど紛れもなくそのトピックに関することを呟いてるのは確かだから、絶対その発言の中の「単語」はそのトピックに関連してることなんだよね。
あとはそういう単語をいくつか抽出してGoogle検索すれば、あっちゅーまにそのトピックスの全体図が見える。
新聞もいまや情報の裏付けには役立たないんですよね。
「今話題のあれなんだっけ?ヒントちょーだい!」っていう存在に俺にとってはなりかけている。
てか、ここに書いてあることが答えや!なんていうトーンで記事とか読んでるとロクなことないよね。
めっちゃ政権寄りな記事しか書かないところもあれば、何かにつけて現政権の批判につながる記事しか書かないところもあるし。
だから情報の中からキーワードだけ拾って、自分の手で検索して事実だけど把握する必要がある。
その後の解釈は俺たち次第だよっていうね。
ミクシィのコンサートチケット個人売買サービスが捜査されて事業終了してた件。
すげーわ。こんなことやってたんだ。
ミクシィのコンサートチケットを個人間で売買するサイトがあったらしい
→子会社のフンザが運営していた
→そのフンザがジャニーズ事務所の許可を得ず、ジャニタレのコンサート情報をまとめたサイトを運営してた
→無断商標利用ということで家宅捜査が入る
→フンザはチケットキャンプのサービスの停止
→そのままチケットキャンプはサイト終了へ
って流れらしい。
てかジャニーズってほんとに時代の流れと反してるよね。
まじで悪口でもなんでもなくて。
こんなにSNSが力を持った時代に、SNSで画像を利用させるのもダメなんて。
まあ実際はSNSで画像上がりまくってるし、そんなに規制してなさそうなあたり、事実上SNSでのジャニタレ画像利用は容認してるっぽいけどね。
ちなみにフンザの公式HPがこちら。結構おしゃれです。
チケットキャンプのHPがこちら。
控えめに言って見づらいです(笑)
そして何より面白いのが、「サービス終了に関するQ&A」でサービス終了の理由について一切触れられていないところ。
素直に草生えます。
11.捜査関係者に個人情報の開示はされますか
捜査機関より正式な照会等を受けた場合には、お客様の個人情報について開示を行なう場合がございます。あらかじめご了承ください。
これがさらに草。
こういう時に「利用規約よんでねぇ~」ってなりそうだし、明日は我が身で少し反省したわ。
てか「チケットキャンプが終了して困ってる層いんの?」っていう血も涙もない疑問が浮かんだのでTwitterで検索してみました。
チケキャン閉鎖で一番悲しいのは、高額転売問題にかこつけて低額転売も潰されちゃったこと。個人的には、暇な日に「推してないけどめっちゃ安いし行ってみるか」みたいな買い方できなくなるのが悲しい。公式のチケトレは価格自由性がないので、完売してないチケットは売買できないし。
— コウイチ (@rbkouichi) 2017年12月27日
一応いましたね。やっぱりコアなファンの方たちには結構需要あるっぽいな。
にしても
チケットキャンプ公式の「上場会社ミクシィだから安心」がさらに草が生えますね。
今年一年仕事で学んだこと
- #1.ルーティンに頭を使わない
- #2.上司が何に気を使っているかを察する
- #3.主張には反論や突っ込みを予測して根拠となる事実を用意しておく
- #4.金をもらって仕事を学ぶという意識
- #5.短期では理屈、長期では人間性
#1.ルーティンに頭を使わない
どんな仕事でもそうだと思うけど、「公約数」があると思う。
「絶対これは外せない作業だよね」ってやつ。
そういう仕事、というか流れ作業にも本来やる意義みたいなのが一つ一つあって、ほんとはそれを一つずつ確認しながらやってかなきゃいけないんだけど。
でもそんなことやってるとまじできりがないんで、リスト化したり、作業工程をテキスト化して脳死状態でもできるようにしておくことが大切。
考えることでエネルギーは消費しちゃうわけで。しかもエネルギーは1日に限りがあるわけよ。
そうすると、「さすがにこれ一々考えなくてよくない?」という仕事にはできるだけ労力を使いたくないから、タスクリストとか、チェックボックスを作ったりして、テキスト通りこなしていれば完遂できるようにしておきたい。
基本は流れ作業で、例外的な部分だけ頭を使って意識できればいいけど、理想は「例外を意識することもテキスト化して自動化」したい。それができればほんとによだれたらしながらもれなく一日のマストな部分は消化できるはず。
俺は「出勤したら〇〇をすること」「〇〇をする前に△△をやったか確認すること」みたいなことをずらーーーーーーーーーーーーーーーーっと8ページくらいのワードにリスト化して、それをバインダーでもって工場のおっちゃんばりに「よしっ・・・」ってチェックしてます。これをやると面白いくらいに一日のマストな部分が消化できる。
#2.上司が何に気を使っているかを察する
よく勝負事で「やられたらいやなことを考えて、それを相手にやれ」っていうけど、その逆。
上司が「これいやだなぁ」「これ心配だなぁ」ってことを察して、そこをうまく通るような企画書、提案書、決裁を回すとよいと思った。
これをちょっと応用して、あえて突っかかるところ、上司が解決するのがおっくうになってるところを用意しておいて、そこに対して完璧な対応をみせることで「俺、その問題解決しちゃいましたよ」アピールをする手法もあったり。
#3.主張には反論や突っ込みを予測して根拠となる事実を用意しておく
個人的にはことし学んだことの中で一番熱かったね。すげー当たり前のことなんだけど、一つ一つの主張・アクションにこれができてるとほんとに一日が楽。
書類上のやり取りとか、仕事上の相手との駆け引きはもちろん、相手の反応もそう。
相手の反応を予測したうえで、それに対する「答え」をもっておくと、その通りの反応が来るともはや気持ちいい(笑)
〇〇さんに頼みごとをするといつもいやそうな顔してきて日々ムカついてるとしよう。
正直そんなこと解決しようがない。
でも、「これ〇〇さんに頼んだらこんな顔するんだろうな」と予想して頼むだけで、いやそうな顔されたとき全然違う。
「やっぱそのリアクションしてきて草」とか、「そんなリアクションも持ってるの?」とかいろいろ見えてくる。
コミュニケーションというより人間観察みたいになってくる。
#4.金をもらって仕事を学ぶという意識
仕事がいやになるときが今年もたくさんあった。
汚い部屋から出勤して、夜遅くまで残業して、やりたいことをなにも消化できずに散らかった部屋にもどってそのまま寝てまた出勤…なんてことをしてる時には「何やってんだろ俺…」なんて言うことも思った。
けど結局「金をもらって何かを学んでいる」という事実は動かん。
だからいやなことあっても、「金をもらって成長できる機会」にいることを忘れちゃだめだってことっすな。
これは結構自分の心の支えになってますね。
#5.短期では理屈、長期では人間性
最後、いっつも思うんだけど、最後は人間性な気がする。
仕事をするうえで、理屈が超重要だし、どんな嫌みったらしいいい方をされても理屈が正しければそれは正しいし、超優しい言い回しでも言ってることが間違ったら元も子もない。
だから理屈は超大事。
けど、最終的には人間性だなって思った。
これは演繹的に考えてるわけじゃなくて帰納的に考えに基づいた仮説なんだよね。
色んな上層部の人間とかそれなりの立場にある人たちを見ると、みんな人間性ができてる気がすんだよね。
ゴミみたいなやつでも確かにちょこっと出世はできるかもだけど、ある程度出世したり稼いだりしてる人はみんな人間性ができてる気がする。
という。
「おしゃれに見える」ではなくなぜ「インスタ映えする」というのか。
言ってしまえば、
「おしゃれに見える」は、「私からみてあなたはおしゃれに見える」ということだ。
でも、
「インスタ映え」は、「私のみならず、SNSでたくさんの人からおしゃれに見えそう」というニュアンスがあると思う。
「おしゃれに見える」は「個人の感想」のようなニュアンスがあるが、「インスタ映え」はどこか「他人事」で客観的な評価のようなニュアンスがある。
「可愛いね」と「モテそうだね」と同じような違いがある。
「可愛いね」と直接的に言われると、最近のコミュニケーションを避ける傾向にある現代人からしたらなんか距離感が近いような気がする。
だが「モテそうだね」なら、どこか「俺だけじゃなくてみんなから」みたいな、ちょっと遠いところから距離を置いて褒めているような感覚がする。
その発言から、「え、彼って私のこと可愛いっていってる?!」と誤解するのもよし、「あ、ありがと~(棒)」と受け流すのもよし。
いう方も遠回しに好意を伝えているのか、本当にそう思っただけなのかはわからないが、拒否された時のダメージが少なく、「いわれる方もいう方も無難」なのだ。
かくして「インスタ映えするスイーツだねぇ~」みたいな会話が使われるのだ。
これは男女間だけではなく、殺し合いのような気のつかいあいが行われる女子間の会話でよく使われる気がしてならない。
2匹の愛犬の物語。
眠れないので書く。
俺と飼っていた2匹の犬の話。
俺は昔犬を2匹飼っていた。
1匹は犬というより動物といった感じで、人に媚びず、犬同士でも群れない、孤高の犬だった。
もう1匹はとにかくやる気のない甘えん坊な犬。
この子もある意味群れない犬だったかもしれない。散歩は意地でも嫌がるし、ご飯と睡眠が大好き。そして飼い主がとにかく大好き。
そして飼い主がどんなに忙しい状況であれ膝に座って寝て動かない。
最初は苛立ちもあるが、段々と心地よい諦めが襲ってくる。
1匹目の子は撫でるのにも一苦労。機嫌が悪いと噛みつかれるからだ。
それでも愛してやまない。愛さずにはいられない。
それほどに犬は愛おしいのだ。
犬は人の気持ちがわかる。これは本当だと思う。
学生の頃、悲しいことがあった時、廊下で一人で泣いてたら犬は近寄って慰めてくれた。
自分が笑顔の時、どこか彼らも楽しそうでウキウキしていた。
彼らはいつでも嫌が応にも俺の気持ちにリンクしている。
そう感じた時から、俺は彼らの前では暖かい優しい気持ちでいるよう心がけた。
すると彼らも同じような気持ちになるからだ。
気づいてみれば、自分も明るくなっていることに気づかされる。
彼らを想うことが、結局は俺のためにもなっていったのだ。
俺が学生の頃に、1匹目の犬が死んだ。
あんなに孤高の王みたいなあの子がみるみる痩せて、大好きなご飯もろくに食えなくなってくるあたりからなんとなく察していた。
でも他人の死とはまるで違う。ドキュメンタリーを見ている時とは比べ物にならない。
察してはいるけど、察したくない。
逃げちゃダメなんだけど逃げたくなる。
でもちゃんとこの子の最後に向き合っていたい。
いろんな感情が戦っていたのを覚えてる。
大好きなワンコの最後なのに、どうしても逃げ出したくなったら、ご飯をなかなか食べなかったり、部屋をうんちまみれにしてしまうところに、少しイラついてしまう自分がとにかく情けなかった。
当たり前だろ。
言葉は悪りぃが死にかけてるんだ。
お腹に力が入らないのなんて当たり前だ。
うんこだって出ちゃうよ。
食べたいけど喉を通らねんだろう。
そんな当たり前のことに、なかなか気づかない。
いや、気づいていたけど目を背けてたのかも。
そんな自分が嫌だった。
どんどん迫り来る愛犬の死期と、そんな愛犬を時折大事に思えない自分が怖かった。
そしてその時が来た。
俺は亡くなる瞬間に立ち会えなかった。
なんなら飲み会に出かけてた。
帰ってきて、動かない、冷たい愛犬を目の当たりにした。
大好きだった。
そんな愛犬がもう動いていないのだ。
死ぬってなんだろう。どこからが生きていてどこからが死なんだろう。
歩きたいのに起き上がれない彼を起こしてあげてる数日前まで彼は生きていて、少し動かないだけで今日は死んでるらしい。
まだ暖かいのに。
途方もなく泣いた。
俺普段あんまり涙出ないんだけど、本当に泣いた。
本当はすぐに火葬してあげたらするのが良いのかもしれないけど、その日は愛犬の亡骸と寄り添って寝た。
冷たかったけど暖かった。
そしてどれだけ俺の心の支えだったかを知った。大切な存在だった。
物心ついた頃から彼を飼っていて、俺が学生を卒業するくらいまでずっと生きていた。
俺はまだまだ未来ある年なのに彼は10数年間で死ぬ。
なんて不公平なんだろう。
俺は彼ほど誰かに希望を与えられたことがあるだろうか。
罪悪感にも近いものを感じたし、「これから悔いなく生きていこう」という決意は贖罪にも近いものがあった。
そしてつい去年。
2匹目のワンコも死んだ。
ご飯と睡眠と家族が大好きで、運動が嫌い。
まん丸い体が同じようにみるみる同じように細くなっていく。
1度経験したことがあるけど、慣れるものじゃない。
どうしても慣れられない。
でも、部屋をうんちまみれにされたり、なかなかご飯を食べなくても、根気よく、笑顔で掃除できるようになっていたし、うんちまみれになった時、ワンコの足が汚れないように靴下を自作で作ったりできるくらいにはなっていた。
全然効果なかったけど。笑
ごめんな、1匹目の愛犬。お前の時はそれができなくて。
犬は人の気持ちがわかるから、イラついてる俺の気持ちもわかってたんだろう。
そう想うと今も後悔が尽きないし、悔しさでいっぱいだ。
でもそんな貴重な経験をさせてくれたのも彼だし、とっても感謝している。
2匹目のワンコが死んだ時は朝だった。
ずっと具合が悪かったから、リビングで一緒に寄り添って寝ていたんだけど、朝起きたら既に無くなっていた。
朝方まで起きてて、6時に起きてまだ暖かったから、おそらく起きる数時間前に亡くなったんだろう。
また立ち会えなかった。
今も後悔が残ってるけど、24時間起きてるわけにもいかないし、なんだか死ぬのをこれ見よがしに待っているような感じもするから、これで良かったのかなとも思う。
ただ、同じ時間を過ごして、ご飯を食べて、寝る。
それだけでいいのだ。
2匹目がなくなった時も途方もなく泣いた。
一日中泣いたんじゃないかな。
もうなんでこんなに涙が出るんだってくらい。
てか普段どこにこんな溜まってんだよって。
正直、辛すぎて、なくなった時のインパクトが強すぎて、それ以降の火葬とか、お葬式とか、あんまり覚えてないんだよね。やったんだけど。
本当に人生で大切なことはあらかたワンちゃんが教えてくれた。
想いやりの気持ち。自分を好きであることが、自分を好きでいてくれる人を喜ばせることに繋がること。
見返りを求めない無償の愛。
そして死。
本当に人生って一回きりなんだなって。
犬だから人生じゃないな。
そう考えると人生って言い回しなんか傲慢だな、別に人間だけじゃないよな。命が一回なのは。
命が一回だということ。そして誰かを、なにかを愛することがとても素晴らしいこと。
自分の一度しかない命に、真剣に向き合っていかなくちゃなって思ったし、今でも思い出している。
週に一度は遺骨に線香をあげているのだけど、その度に思う。
彼らに顔向けできないような情けない人生は送りたくないなと。
天国があるなんて思ったことないけど、死後の世界がなんであれ、彼らが今日も彼ららしく、幸せな夢を見れていることを切に願う。