ANDOのブログ

気づきとか違和感についての独り言

はあちゅう氏を筆頭にしたセクハラ告発ブームに思うこと。

最近凄いムーブメントになってる「#metoo」。

 

世界ではすでにだいぶ前から話題になってて、アカデミー賞俳優のケヴィン・スペイシーが性的告発をされたりで大騒動となってた。割と日本でもNetflixの「ハウス・オブ・カード」とかSe7enのジョン・ドゥ役とかでなじみ深かったからワイドショーとかでやってたんじゃないかな?

 

www.elle.co.jp

 

でも実際は世界でのムーブメントだった感があった。

「この閉じられた閉鎖的な島国で#metooなんてタグつけて告発するバカがどこにいるんだ」みたいなセクハラ親父の勝利宣言が高らかに聞こえてきそうな感じすらあったが、最近風向きが変わった。

 

電通はあちゅうさんの告発である。

はあちゅうさんはブロガーとしてもともと著名で、学生時代には企業にスポンサーをつけてもらって世界一周の旅なんかにもでている。

 

今は電通をやめて著名ブロガーとして活躍中な彼女が「電通時代にひどいセクハラ被害にあっていました」的な告発(というと大げさかも)をしたのだ。

 

詳細は下記の通り。

www.buzzfeed.com

 

この記事は大反響を呼び、SNSではちょっとした事件に。

相手の名前も実名だし何より業界では著名人らしい(俺のような底辺はしらない)。

それに証拠画像などもメディア側に渡し、関係者への取材で裏どりを取り終えたうえでの記事掲載。

ぽっとでの「ブログで元上司の文句を書いてやる!」みたいな記事とは訳が違う(自戒)。 

callmeg2ab.hatenablog.com

 

これを皮切りにいろんな人が口火を切り始めた。

 

 最初こそ

「お、これは祭りか?!」なーんていう2ちゃんねらー全開の第三者視点で見てたんだけど、やじうま程度に記事の内容を見るとどうにも重い。予想以上に重いのだ。

今日は気分がいいからピンサロいっちゃお~♪なんて気分で言ったら1万5千円請求されるくらい予想外に重い。

 

当たり前だ、記事の中身は「はあちゅうの#metoo告発でようやく勇気を絞り出して書いた後ろめたい過去」なのだから。

 

もちろん#metooの意味するところは男性からの女性へのハラスメントだけではないでしょう。

男性権力者からの同性へのハラスメントも同じだろうし、女性から女性へもあるだろうし、女性から男性へもあるんだと思う。

 

こういう記事を見て思ったのは「予想以上に蔓延してるな。」ということ。

 

そして次に「自分がいる状況も物的証拠がないだけで似たようなもんだな」ということ。

 

先ほど張り付けたはあちゅうさんの記事を読んでもらえれば分かるが、彼女にセクハラした岸氏は、はあちゅうさんにラインをテキスト媒体で送っていた。

そういう物的証拠があるけど、普通に慢性的なハラスメントを受けてる人からしてみればそういった証拠はなかなか得られるものではないだろう。

ハラスメントをする側もラインを線引きしている可能性がある。

 

そうなるともう特定は難しい。

なんなら「何もしてないのに上司にハラスメントだと濡れ衣を着せようとしている気が触れた最近の若者」みたいな感じに扱われてしまう可能性すらある。

 

仕事をやめれば食い扶持がなくなる…という人が大半だろうから、仕事を失う、または仕事上立場がなくなるリスクを考慮すれば中々物的証拠のないハラスメントを告発できない。

そうすると「泣き寝入りしているハラスメント」は予想以上、いや、予想以上なんていう言葉じゃ形容できないくらい多いんだろうなというのが本音だ。

 

俺ら労働者に与えられた選択肢なんて言うのは

1.我慢する

2.未来はわからんが戦う

3.未来はわからんが逃げる

くらいしかない。

 

大半、体感85%くらいが選択肢1だろう。

次に3かな。体感10%くらいか。

 

残りの5%が選択肢2。

申し訳ない5%も戦っているとは思えないので自殺と戦う合わせて5%くらいな気がする。

 

どれもいいとは思えない選択肢だけど、1と3を併用したやり方がいいんじゃないかなとは思う。

我慢しながら逃げる準備をする。

これをうまく表しているのがブロガーのヨッピー氏の「明日クビになっても大丈夫!」である。

 

 

結局は「変化を恐れないこと」、いやむしろ「積極的に変化することに挑戦すること」が一番最適解なんじゃないかなと。

生物は変化に適応できるものが生き残る、というのは大昔から言われているけどその通りだと思う。

そして変化に適応できるとしたら「もとから変わり続けられる人」かそうでなければ「意識的に変わろうとする人」しかだめだと思うんだ。

 

今の仕事場が良くても明日どうなるかわからない。

とんでもないセクハラパワハラ上司が異動してくるかもしれないし、なにがどうなるかなんて誰にも分らないのだ。

だから「常に変化する。それも好んで。」これが凄い大事だと思う。

そしてたいていは三日坊主で終わっちゃうから、変化するには「環境を変える」。

これに尽きる気がするね。

 

付き合う人を変える、住む場所を変える、仕事を変える。小さな変化から大きな変化まで何でもいいけど環境を変えれば自分も変わらざるを得ないから。

 

失敗したらアウト!っていうほどのリスクを負って変化をするのはばかげてるけど「まぁ失敗してもいきてけるでしょ」くらいの範囲で変化は続けるべきなんじゃないかな。

 

結局のところ、たいして何も考えずにハラスメントしてるやつらに対して、被害者側はこんなに頭をあれこれ働かせなきゃいけない。

その時点で「戦う」選択肢しかないのかも(笑)

 

救いのない記事でごめんなさい。

 

でも個人的には結構批判もあるようだけど、はあちゅう氏並びに様々な方の「告発」は意義あるものだと思う。

なぜなら既存の社会になかった「SNS」という存在が生み出した影響力だから。

今までは被害者は隅で黙っているか、殺されるのを覚悟で裁判で戦うかみたいなことしかなかったのに、今はSNSという拡声器を通して発言ができる。

ネット上に公開される=一生消せない記録になるわけだから、ハイリスクではあるけどそれに見合うリターンも得られるはずだ。

 

なんでこんな記事を寝なきゃいけないのに真顔で書いているのかわからなくなってきたのでもう寝ます。

全国のハラスメントを受けている方たちが良い夢を見れますよう。おやすみ。ちんぽ。

失敗談>成功談

これ。とても面白かった。

 

いつの世も自慢話や成功談ばかり聞く羽目になるけど、失敗談こそ聞く価値があるよなと思う。

「こんな大成功しましたー!」っていう話以上に、「こんな大失敗しましたー」っていう方が実際は有益だったりする。

Ocean's 8

ぐああああああああああああああああああああああああああああオーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーシャンズ8!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

ポスターかっこよすぎワロタ

頼むから死んでくれ、おれがしぬまえに。

 

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前作「オーシャンズ」シリーズの主演、ジョージ・クルーニー演じたダニー・オーシャンの妹が主人公となっている。

ちなみに演じているのはアカデミー賞常連サンドラ・ブロック様。

 

ほかにも「プラダを着た悪魔」「レ・ミゼラブル」のアン・ハサウェイとか、ケイト・ブランシェット、リアーナ、ダコタ・ファニング、「ハリーポッター」で知ってる人も多いのでは?ヘレナ・ボトム・カーターも出演。

紹介しきれないくらいの豪華っぷり。

頼むからやめてくれ。

 

そして頼むから日本も2018年の夏に同時公開してくれ頼む。

手記

今日は勝負の日だった。

 

仕事場につくなり、いつものように日次のチェックリストを印刷。自前でそろえたバインダーにそれを挟み込み、現場監督さながらにリストにチェックをつけながら日ごとの作業を進める。

 

いつものように上司は挨拶をせずに入ってくる。

俺は、「挨拶することが大事」だと思っているので、「おはようございます」と全員に声をかけた。

 

返事をしたのは数人。

それも俺の挨拶から数秒遅れて「…っしぁす」。

グラシアス???

 

留学してたのかな????????

確かに全員フィリピン人だと思えば日本語で挨拶しても返事がないのもうなずける。

 

くだらない人間関係にうろたえている時間も心にかかるストレスももったいない。

俺は上司とではなく会社と契約をしている。

会社の仕事をしに俺は職場へきている。

 

今日もぎりぎりの納期が待ち構えているため、自分以外の人間しか対処できないことに関しては早めに各方面へ仕事を振り、ずいぶん年の離れた先輩に仕事のスケジュール、今日やることの指示を朝のミーティングで伝える。

 

ちなみにこのミーティングがなければ、同じ担当内で話さず帰ることもあったらしい。

同じ業務を離さず行うなんてどこのエスパーさんかな?????

 

「朝にやるべき業務を担当者で理解するためにミーティングをしましょう」なんていう「人を殺したら捕まる」くらい当たり前のことを一番若手の俺がやらなければなかったという不可思議。

 

いやはや日本の労働生産性の低さが垣間見えたね。

 

労働生産性の低さについて思い出したから少し脱線する。

労働生産性っていうのはそもそも「アウトプット/インプット」のこと。

これを会社という組織で言えば「付加価値(収益など)/投資したコスト(時間・金)」のこと。

 

つまり「いかに時間と人をかけず大きな価値を生むか」がすべてなのだ。

そのため日夜様々な会社は「自分の会社の顧客にとって”価値”とはなんなのか」と「どうやって無駄な時間と金を減らそうか」と考えているのだ。

 

労働生産性」なんていう大げさな名前だからみんな議論するのを控えるだけであって、具体例をあげればそんな難しい話じゃない。

朝のミーティングだってそうだ。

いい大人同士が皆仲良くないのなんて普通だ。逆にいいおっさん同士が仲良しこよしだったら気持ち悪い。

でもおっさん同士が、お互いなんの作業をしてるかを「ただ気まずい」という理由だけで把握せず、同じ作業をだぶってやっていたり、効率的な動きができていないのはもったいなさすぎる。

もったいないという一言で収まればいいが、それこそ、労働契約を結びながらあえて自身の感情を理由に非効率的な業務をおこなうことは株主や使用者への裏切り(不利益を意図して与えているという点において)ではないだろうか?

 

単純に考えればいい。

そんな「自宅で仕事をできるように!」とか「上司とのミーティングをスカイプで!」なんていう「THE意識高い」生産性向上を求めてるわけじゃない。

 

「自身の組織の顧客にとって”価値”とはなんなのか?」

「その価値を最大化するためにはどんな要素が必要なのか?」

「その要素を満たすために必要な金と時間をできるだけ節約する方法は何か?」

 

これだけを考えればいい。しかも「自身の裁量でできることの範囲」で。

社長や部長が了承を得なくてもいい。

自分の裁量の範囲で上記の答えを実施していけばいい。

 

そこに上から指摘が入った時に「こういう理由でこうしました」とちゃんと理由を持てるのが前提だ。

 

基本的に人と人の会話は成り立たないと思った方がいい。当たり前だ。

何年も共に過ごしてきた友人ならともかく。知り合って数年もたたない仕事上の関係だけの他人といきなり「わかりあえる」わけがない。

 

基本的に人との会話はディスコミュニケーション。意思の疎通が不成立だと考えること。

 

だからこそ理由は「シンプル」に。

 

だからこそ物事を考えるときは「シンプルに」考えることが重要になる。

 

シンプルな理由、シンプルなワンポイントメッセージであればこそ見ず知らずの他人に届きやすくなるはず。

 

だが世の中の組織の理屈があまりに「複雑」なのは、「結論ありきの理由づけ」だからだ。

普通に考えたら、シンプルな考えに付随するのはシンプルな理由だ。

 

疲れたのでここまで(笑)

相撲界の暴力事件についての印象を書き殴る巻

なんだか最近話題の(というかメディアが話題にさせている)相撲界の暴力事件。

 

簡単に言うと、横綱日馬富士が、貴乃花部屋所属の現役大相撲力士貴ノ岩をボコボコに殴ったって言う話。

 

ただメディアが騒いでるポイントは「殴ったかどうか」なんてところではなくて、「貴乃花親方がなぜメディアに口を開かないか」ってところ。

 

日馬富士貴ノ岩を殴ったかどうかなんて極論メディアはどうでもいんだろうね。

一番のポイントはその背景にある、貴乃花親方と相撲協会の確執。

そこがハイライトだとメディアは踏んでいるはず。

まぁそれにこと足りず、メディアにでるタレントとかって言うのは基本的に「貴乃花が口を開かないのは不誠実だ」とかなんとかっていう貴乃花ディスのコメントをよく見る限り、少し協会よりなのかな?

 

俺の感想(そこまで詳しくないから印象か)としては、

貴ノ岩が重傷を負った

日馬富士が殴ったことを認めている

この時点で傷害事件としては成立してると思うんですよ。

だから、貴ノ岩所属する部屋の親方である貴乃花が警察に被害届を出すのはなんとも思わない。と言うか普通。

え、だってみんなは誰かに殴られたのに被害届出さないの?って思う。

 

んで警察の捜査が始まってるんだから不確定かつ不必要な情報をペラペラと被害者側が語るのは良くないよね。捜査の邪魔になっちゃうんだから。

だから喋らないのも当たり前だと思う。

 

ただ、日馬富士サイドの行動も理解はできる。共感はできないけどね。

 

日馬富士サイド、というか協会サイドと言うべきなのかもしれないけど、彼らにとって一番大事なのは「起訴されないこと」。

起訴されて裁判が始まれば勝てる保証はないわけです。

「確実に勝つ」には、「そもそも裁判をはじめさせない」ことが重要になってくる。

そうすると、協会サイドとしては、貴乃花に被害届を出させずに、示談で済ませたいわけですな。

 

だからめちゃくちゃな論理だと自分でわかってはいても、屁理屈で貴乃花貴ノ岩にメディアを通して圧力をかけて、うやむやにしたいわけですな。

 

まぁできる弁護士ってのは、裁判で勝つスキルが高いんじゃなくて、訴えを下げさせるスキルが高い人のことっていうしね。

 

 

???「生産性を高く」

よく聞くけど意識たかそうな言葉、「生産性を高くしよう!」

 

わかっちゃいるけど縁遠いなと思ってる人多そうだけど、多分そう思ってる人ほどわかってなさそう。

 

ここで私の実践している具体例を出しましょう。

VS仕事を教えない上司のケース。

私の上司は仕事を教えてくれません。

おそらく私のことが嫌いなのでしょう。厳密にいうと女が大好きで、基本男には厳しい。ましてや若い男にはもっと厳しい。

 

そんな私の上司、何を聞いても「俺は知らない、俺の専門ではない」との一点張り。

そんなややパワハラ地味たやりとりにストレスを抱えてうじうじしてもしょうがない。

解決策は「完成度60%で仕事をする」です。

ポイントは「要点だけは抑える」こと。

 

組織ってのは単独での判断はできません。何かしら、どこかしらで、第三者のチェックが入って、GOサインをだします。

それを利用した手法。

まず大前提として、「仕事=問題解決」です。

サービス業でも飲食業でもIT業界でも金融業界でもなんでも、誰かが何かしらの理由で「困ってる」。

だからそれを解決する。ただそれだけ。

 

なので、わからない仕事を振られたとしても「この問題を解決するためにはこの情報はマストだろう」とか「ここが問題解決プランのメインディッシュだからここは外せない」みたいな、自分の頭で考えた要点だけはしっかりと入れること。

 

あとは、細かい記入方法とか、どこにどの印を押すみたいなことは適当にして提出すればいいんです。

そうするといくら気の利かない上司でも「いやお前これ間違ってるんだけど…」みたいな呆れた顔で間違いを指摘してくれます。

本当は上司は俺と話もしたくないはず。

ただ、間違った資料のまま決裁をとると責任は最終的に上司自身に降りかかってくるわけです。

 

なので上司も指摘せざるを得ない。

そこで初めて俺は「あーなるほど」と。

そこで勉強すればいい。2度目がなければそんなに怒られない。

 

たしかにやれせっかちだとか、やれ落ち着きがないとか、確認ができないやつとか、飲み会で「あいつは使えない」とか言われるかもしれないけど、実際そんなのクソどーでもいいっしょ?俺的には日馬富士が捕まろうが捕まらなかろうがクラスのどうでも良さです。

 

遠くの方で自分の方を見てクスクス笑ってる奴がいたら、気にはなるのが人間。

ただ実際問題中身を聞くと大したこと言ってないんですよ。

だからそれでよし。

 

うだうだ「これどうしよう。。。でも上司に聞いても冷たく突き放されるしな・・・」みたいなクソみたいな時間のロスをするなら、要点だけ抑えて自分なりの回答を自分より権限が上の人間にぶん投げればいいんです。

 

こっちのやり方の方がよっぽど「生産性が高い」。

 

これは人によって意見が分かれると思うけど、俺の評価基準は、

「早くて正確な人」

「早いけど間違ってる人」

「遅いけど正確な人」

「遅くて間違ってる人」の順番です。

 

「いや間違ってたらダメでしょ(笑)」と思ったそこの間抜け。

 

いいんです。

 

人はそれぞれ得意なことが違うんです。だから役割分担をしてるんです。

一人で全部わかるわけない。一人で100%の出来を再現しようとして、各部署各担当者に確認して事前に調整して時間をかけた上に「間違ってました」なんてなったらもう論外。

だったら前述のように要点だけ抑えてスピーディに上に上げる。

そして、より詳しい人、専門的な知識のある人間からのフィードバックを待つ。

その方がよっぽど効率的です。

 

個性って、「こだわり」なんじゃないか

結局のところ、「その人のこだわり」なんじゃないか最近よく思う。

 

プライドとか個性とか。

 

もっと抽象的なことを言えば譲れないもの。

小難しいことを言うなら、合理的ではない部分。

 

基本的に世の中ってのは「なんでも合理的にやりましょうね」っていう風潮が強いわけ。

合理的っていうのは、平たくいえば「無駄をなくす」とか「少ないエネルギーで沢山のことをする」とかそういうこと。

 

当たり前といえば当たり前だ。

ネット注文で届いたペットボトルを一本一本冷蔵庫に運ぶより、ダンボールとか袋に全部入れて一度に運んだ方がよっぽど合理的だし、誰でもそうする。というか、人はそういう創意工夫を重ねて便利で、快適な生活を築いてきた。

 

でも人って生物だから、どうしても怠惰な部分はあるし、わかっていてもめんどくさくてやりたくない時あるし、スゴイ無駄なことをしてしまうことがあると思う。

 

でも俺はそういう部分にこそその人の「色」というか味とでもいえばいいのか、出ると思ってる。

 

その人の偏屈なところ。「無駄かもしれないけど俺はこれだけは譲れねぇ」というところ。

ただ目的を果たせればいいわけじゃない、かっこよくいえば何か哲学があるってこと。

例えがいつも下ネタで申し訳ないが、俺の友人に「ピンサロは絶対指名なしのフリーでしか入らない」という謎の哲学を持ってる奴がいる。

 

よく考えたら意味不明だ。

おっぱいが大きいとか、顔が可愛いとか、フェラがうまいとか、そういう自分にとって重要なポイントだけ絞って指名して、早めに好みの子を見つけた方がよっぽど合理的だ。

無愛想でブサイクなお嬢さんに当たる可能性も低くなる。

 

でもその人はその哲学でピンサロに通い詰めてる。

 

物凄い非合理的な部分、そういうところに人の面白みを感じてしまう。

 

むしろ、全ての選択が合理的で、無駄が一切ない人なんて、色が何にもないし、何より単純に面白みがない。

コンピュータでいいじゃんとなってしまう。

 

多分、その友達も、俺のやり方でピンサロを楽しみ出したら、つまらなくなって通わなくなるかもしれない。純粋にピンサロを楽しめなくなるかもしれない。

 

たしかに基本的には合理的な考えをしたり、行動をとるべきなんだろうけど、自分が今までの人生で培ってきた「非合理的」な部分にヒントがあるんじゃないかと思い始めた。

むしろそのくだらないこだわりを特化させていくことこそが自分の人間性を確立させる方法なんじゃないかな的な。

 

というかシンプルにそういう部分は人を惹きつける。

「え、なにこいつ?」ってみんなが思って注目してしまう。

 

小便は絶対座ってしない、とか。

財布は持たない、とか。

ゲームは攻略サイトを見ない、とか。

 

なんでもいいんだけど。

そういう「誰に頼まれてもないけど自分が譲れないもの」を見つけて、というか日常生活の中で無数にあるだろうけど、それを大事にすることが結果的に自分を受け入れたり、自分という人間の味がでてくることにつながるのではないかと思っている午前2時前であります。