ANDOのブログ

気づきとか違和感についての独り言

違和感は大切に扱おう

仕事でミスが発覚したとき、「うわ、やっぱりあの時のアレが原因かよ。」と感じることが多い。

 

明らかに「そこはノーマークでした!完敗です!」という時もあるけれど、たいていの場合は、「あちゃーやっぱりな。。。」ということが多いんじゃないかな。

そのくらい、日常ってのは、違和感としっかり向き合うかの闘いなんだよね。

ここで「戦い」ではなく、「闘い」と書いたのは、それは自分との勝負だから。

仕事でもプライベートでも、「段取進めちゃったけど、あそこの合意とれてるか確認したっけな。。。」「洗濯機に洋服ぶちこんじゃったけどポッケにティッシュ入ってた気がする。。」とか思う。でもそれを確認しない。そういう日々が続くと、自分の違和感センサーがどんどんぼろくなっていくんです。なんでもそうだけど、使ってあげないと錆びちゃうでしょ?

内的な違和感センサーだって同じ。

 

逆に違和感センサーに従って、しっかり日々そこと向き合えば(面倒だけどね)、寝るときにスッキリ寝れるし、自分や周囲の変化にも気づけると思うんです。

 

例えばこのブログを書いてるときも、「なんだかブログが抽象的じゃない?」と思ったので、ティッシュのくだりを入れたり、ほら、そういう積み重ねかなって思ったり。

 

あと全然関係ないけどさ、こういうブログを書くときに「自分と同じ考えを持ってる人っているのかな?」ってGoogleで検索すんのよ。

そしたら、同じような記事出てきてさ、こういうときってちょっとうれしいよね。

たぶん自分と同じような考えを持ってる人って世の中には結構な数いると思うんだよ。

でもそれを文字にしてインターネットに上げるって、結構億劫なことじゃない?

それをしてる人がいるってのは、なんか一人じゃないな、って妙に安心したりできるんだよね。

能力や才能に自信がなかったから「くだらない部分」で頑張った話

大学生から社会人になってすぐ、自分の能力に自信がなかった。

まぁ今考えたらあるほうがおかしいんだけど。

 

そもそもこの会社に求められてることがわからない。(今も)

それにこたえる自信もない。(やったこともないんだから当たり前)

 

みたいな感じで兎に角自信がなかった。

 

いろいろ考えた結果、「不安になったし本でも読むか」みたいになった。

とにかく本を出せるほど優秀そうな人の考えでも拝借してその考えを元手にうまくやれるようにでもなるか、みたいな。

そこで偶然手に取った本が「速さは全てを解決する。」だ。

 

忘れたけどなんだかすごそうな経歴で頭のよさそうな人の本で、詳細はググってほしんだか要は「スピードが命。前倒ししまくれ。速くやろうとしすぎてミスっても前倒ししまくって時間が余ってるからその時間で何とかなるだろ。遅いよりいい。」みたいなパワー系の思想だった。

 

でも意外とこの本が響いて、まぁスピードも大事なのは間違いないんだけど、どっちかっていうと「やる気とか、笑顔とか、スピードとかそういう一見くだらないもの」で戦うしかねぇんだなと思った。

 

大学生くらいだとさ、ほら、オリジナリティみせたくなるんですよ。人生20年くらいしか生きてないのに、それなりにいろいろ体験してきた自負もあるもんだから「俺はこういう人間だぜ」みたいなことを前面に押し出すわけ。

 

でもまぁ当たり前だけど知識とか実績とか、若手がベテランに勝てるわけないっしょ。

そういう中で、戦うにはそういう一見くだらないことそういう部分が大事になるんちゃうかというね。

 

それでまぁそこを意識したわけですよ。

とにかく誰かから仕事を受けたら死ぬほどソッコーで取り掛かって、完成度80%でもいいからそれで仕事を投げ返して、怒られたらまたソッコーで修正して・・・みたいな。

 

そりゃまぁ?失敗もそれだけ多かったんで、上司が飲み会で自分の悪口を言ってるみたいなうわさも聞いたりしましたけどまぁ関係ないよね。

 

スピード感あって、笑顔で、やる気があれば、まぁそんなに悪い扱いは受けないわけよ。

むしろ最初はあれかもだけど仕事もだんだんと集まってくるわけ。

 

仕事が集まると、だんだん仕事の勝手もわかってくるし、何なら仕事を通じて社内の人とも仲良くなったり仲良くはなれなくてもその人の癖や傾向はわかってくるわけ。

 

んで、「あ、これもう仕事できるわ。」ってなっても、一応そういうくだらない部分で頑張ることをやめなかったわけ。

そしたらもういつの間にか頼られるようになったよ。

 

あんどうさんは爽やかだし、仕事降ったらすぐ返ってくるし、なんかはきはきしてていいよね!

って。まぁ普段の俺はその対極なんだけど。しょうがねぇジャン仕事だしっ思いながらそれを演じてたわけです。

 

たぶん自信がなくて、仕事もやだなーってなりながら仕事なんだかよくわかんないし、期限ぎりぎりまで報告も遅れて、やる気もないし、そんなに絡まないから社内の人ともそんな…って感じだったら、多分、仕事が集まってきたなかったと思うんだよね。

 

仕事が集まってこないと、もちろん勝手もわかんないし、負のループになると思う。

 

確かにいろいろ分かってきてからは、本当に仕事に大事なのは、「相手目線(マーケット感覚)」とか「想像力」ってわかってきた。

 

けどそれがわかったのも結局は仕事を大量に預かってソッコーで返すってのを膨大にやった結果なわけで、最初からそこにたどり着くことはできなかったと思うんすよ。

 

だから、「今更やる気あるキャラで行けって言われても…」みたいな人もいるかもしんないから、やる気と愛嬌は置いといて、「スピード」だけは意識してもいいんじゃないかなぁというおせっかいです。

 

法令や規則の範疇で論理的に主張すること=どこでも通用するスキル

「どこでも通用するスキル」は、「そこでしか通用しないスキル」より価値が高い。当たり前だ。

 

例えば、社内の経理システムについての知識が膨大でも、あくまで「その会社のその経理システムに詳しい人」で終わる。

けれど、経理知識が膨大にある人は、別にどこの会社にいっても経理について通用する。会社ごとにシステムの操作方法は違うが慣れの問題だ。

 

上記の例のように、「どこでも通用するスキル=専門性」と認識されがちだか、なにも専門性だけではない。

法令やその組織の規則の中で、誰に対してであれ論理的に発言又は主張するスキル(というか習慣)は「どこでも通用するスキル」だ。

 

仕事をしていると、本当に「自分より先輩や上司が間違っていることを指摘できない人」が多い。

確かに表現の問題はある。ただ、指摘くらいはしろと。

 

法令違反の業務命令を出した時に、素直に従って犯罪者の仲間入りするのか。

それとも、「それは法令違反なのでできません。」と主張してブチギレられるのか。

どっちがいいのか、後者に決まってる。

 

それに、代替案や改善策を事前に考えておいて、指摘とセットにして発言すればそんなにガチャガチャは言われないはずだ。

 

正直な話、会社が潰れたって代わりなんていくらでもいるのだ。面接だって1000社受ければ、待遇さえ気にしなければどっかはパスできる。

給料が下がるかもしれないし人間関係が変わるかもしれない。面倒なのは確かだろう。

けど、代えのきかない自分が犯罪者になるよりかはマシだろう。

変化に気づき、理解し、肯定できる人でありたい。

10月1日の増税。それに伴い、キャッシュレス決済にポイント還元がされる。

cashless.go.jp

政府だけではない。JRのSuicaやそれ以外のサービスも、これを機に!といわんばかりに、非現金決済への還元事業を拡大している。

www.jrepoint.jp

 

例にもれず俺もその還元を受けようと今日準備をした。どうもSuicaを利用してポイントをもらうには、また新たに別サイトへの登録が必要らしいと聞いた。

そのサイトへの登録をしようとしたら、モバイルSuicaのメールアドレスとパスワードを要求された。自分のパスワードをメモしたデータにもその情報はなく、困りはてた。調べてみると、そもそも俺は、モバイルSuicaのメールアドレスやパスワードを設定していなかったらしい。俺の使っているSuicaは無記名Suicaと言って、俺のSuicaには俺の情報が紐づけられていない。まずは無記名Suicaを記名式Suicaに変更しなければなりません、ということらしい。モバイルSuicaに俺の情報を登録して、記名式にSuicaに変更した。その後、その登録された情報を用いて、ポイント還元の新サイトへの登録を行った。

 

結構、インターネット周りのことに不自由しない自分でもなかなか面倒な作業だった。

これを技術に弱い人や高齢者にできるのか?と問われれば、無理だろうなと答えると思う。

けれど、いつだって時代はものすごいスピードで変化している。自分の知らないことを調べて理解しなければ時代についていけない。日々自分が感じた違和感をできるだけ早く、一つ一つ潰していかなければ、違和感を感じるセンサーすら感度が鈍ってしまう。

違和感を感じるセンサーが壊れてしまえば立派なおじさんだ。

みんながおかしいと思っていることもおかしいとは思えなくなり、世の中が変化しても、その変化にすら気づかない。変化に対応できるできない以前の話だ。

そうはなりたくないなと思った。

 

行政や法律というのはたいてい世間の動きよりずっと遅れるものだ。

経済市場で、顧客にとってのニーズをかなえる新サービスが提案される。一般住宅を人に貸し出したりする民泊や、仮想通貨。時にそれらは既存の法律に触れるグレーなものなのかもしれない。

けれど、本当にそのサービスが市場の求めるものであれば、そのサービスはなくならない。

そして法律や行政が、そのサービスを前提とした形に変わっていく。

今回のキャッシュレスだってそうだ。政府が旗を振ってみんなに広くキャッシュレスを知らしめるということは、市場レベルでは随分前からキャッシュレスは普及していたということ。

俺らの感度が低すぎるだけで、世の中はあらゆる分野で毎日劇的に変化を遂げている。

目に映る風景は毎日変わらないだけでなにもかもが毎日変わっているのだ。

その変化を目に留めたい。できるなら、その変化の意味を理解したい。その変化を肯定したい。

年を取っても心はそうありたいと思う。

理解や説明する時は、具体と抽象を意識します。

何かを理解しようとするときのコツ。


まずは抽象的に理解することにチャレンジ。

これで分かれば一番いい。

もしわからなければ、具体化をしてみる。

具体例を考えてみる。


この具体例を出して理解できたとする。そしたら先ほど理解できなかった抽象的なものに戻って再度理解を試みる。


基本は上記のとおり、抽象と具体の反復が肝


説明するときも基本は同じ。

抽象的に話す。相手が理解していないと察したら、その部分について的確な具体例を出す。

それだけ。


そもそも、今調べて知ったのだが、抽象とは「多くの物や事柄や具体的な概念から、それらの範囲の全部に共通な属性を抜き出し、これを一般的な概念としてとらえること。」らしい。


つまり、順序としては、具体→抽象なのだ。

目の前に存在するものや、実際に起こった具体的な事例から抽象的な概念などが得られる。

つまり、最初から抽象的な理解をしようなんてこと自体が順序としておかしい。

もちろん、その抽象的な概念に対し、それを理解するだけの具体的な事例を、自分が知らず知らず経験しているようなら話は別だ。

そういう場合なら、確かに一発目で抽象的な結論を聞かされても、親しみのある「経験上言われてみればそうかもな」的な理解ができるかもしれない。

けれど、自分が専門外の部分や、興味や経験がないものについて、抽象的な概念や結論を端的に述べられても、理解できるはずがない。

ネットで他人を責め立てるより、目の前の家事をやれ。

端的にいって、僕は他人の人生に時間をとられすぎです。

 

集中すべきなんです。他人ではなく自分の人生に。

 

インターネット化の発展により、日常的に、最新かつ大量の刺激的すぎる情報に、高速で接続できるようになったことで、人生の主役が自分であることを忘れ、日々の中で許された貴重な自分の時間を、他人の人生を追うようになってしまったのです。

 

最近であれば、京都アニメーションの放火事件や、吉本興業の反社会的勢力との直営業問題などがあります。

痛ましすぎる事件や、センセーショナルすぎる事件について、気づけば大量の時間を消費していました。

 

確かに情報は大事です。

わけのわからない犯人の動機を知ることで、やばい人からいつか身を守ることができるかもしれない。

京アニのビルの構造を知ることで、その建物の火災時のリスクを判別できるようになるかもしれない。

吉本興業の事件を自分事のように考えることで、不祥事を起こした際の初動対応がいかに大事か痛感できるかもしれない。

ただ、あまりにも衝撃的なニュースが多すぎるんです。僕はまだ友人のSNSなどには興味がなく不幸中の幸いですが、友人のSNSを追って、一日を消費してる人も多くいるでしょう。

上記のとおり、新しい技術のおかげで多くのことが可能になりました。

ただ、一日が24時間であるという事実は、昔から今も変わらないんです。

 

他人ではなく、自分の人生に集中すべきなんです。

 

私は仕事が始まる週初めの月曜日に初めて、「あ、そういや俺の人生を生きなきゃ」という感覚に陥ることがかなりあります。

たぶん、自分の存在が一番必要に迫られている場面だからそう感じるのでしょう。

必要とされているのでそれはそれでよいのですが、日中の仕事だけではなく、プライベートこそそうではないでしょうか。

自分こそが自分の人生の主役である、という意識を強く持たないといけません。

 

国際的な問題を憂う前に、目の前の家事をするほうが先です。

配慮に欠けた発言をした誰かをネットで責め立てるより、自分の人生に感じる違和感を取り除くほうが先なんです。

 

これは反省文です。

 

明日から、今日からではなく、今から。

情報との接する機会や頻度に注意して、自分の人生を生きたいと思います。

負けたくないというモチベーション

「こんな陰キャ共と一緒にしないでくれよ」

「あいつができるなら俺もできるやろ」

っていう感情が、自分の中で重要なモチベーションだとわかった。

 

資格試験もそうだし、何か特定の状態を思い浮かべて、「俺はあそこに到達できるかな?」って考えると不安になる。

 

けど、冒頭のようなネガティブよりな感情を持つことで

「いやできるにきまってるちょっと待ってろ。」ってなるんよね。

 

そういえば俺が尊敬するヨッピー氏もこんなこといってたし

wotopi.jp

 

まぁ自分の中の感情をどう行動につなげていくかを学ぶことは、自分を知るってことだし、何もないようで成長してるのかね。

 

勉強に関しては、自習室周りのけだるそ~に勉強してる人たちに。

見た目に関しては、社内のイケメンの先輩に。

仕事については、部署の所属長に。

 

負けないぞという気持ちで頑張りまっす。